葉篤正
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葉 篤正 | |
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葉 篤正 | |
生誕 |
1916年2月21日 中華民国 天津市 |
死没 |
2013年10月16日 (97歳没) 中華人民共和国 北京市 |
国籍 | 中華人民共和国 |
民族 | 漢族 |
出身校 |
西南聯合大学 浙江大学 シカゴ大学 |
職業 | 大気物理学者 |
政党 | 中国共産党 |
配偶者 | 馮慧登 |
葉 篤正 | |
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各種表記 | |
繁体字: | 葉 篤正 |
簡体字: | 叶 笃正 |
拼音: | Yè Dúzhèng |
和名表記: | よう とくせい |
葉 篤正(よう とくせい、1916年2月21日 - 2013年10月16日)は、中華人民共和国の大気物理学者。天津市出身。中国科学院院士。中国気象学会理事長。
経歴
[編集]原籍は安徽省安慶府懐寧県で、1916年2月21日に天津市に生まれた。天津南開中学を経て、1940年、西南聯合大学を卒業。1943年浙江大学にで理学修士の学位取得。1945年、米国のシカゴ大学に留学し、1948年11月同大学より哲学博士号を授与された。シカゴ大学ではカール=グスタフ・ロスビー門下。
1950年8月27日、葉篤正は妻の馮慧登と香港行きの客船「ウィルソン大統領号」に乗り、ついに1950年10月に中国に帰りました。同年、中国科学院地球物理研究所の研究員、室長を務めた。その後、中国科学院大気物理研究所の研究員となりました。1966年に文化大革命が勃発し、葉篤正は迫害を受け、紅衛兵から「特務」と告発されました。1978年、中国科学院大気物理研究所所長に任命。1985年、中国気候研究委員会が設立され、葉篤正が主席に就任した。1982年に中国共産党入党。1981年、中国科学院副院長に昇格。
2013年10月16日、北京市で病気のため死去した[1]。97歳。
家族
[編集]- 曾祖父:葉坤厚、清の河南南汝光道道員
- 祖父:葉伯英、清の陝西巡撫
- 父:葉崇質、清の直轄巡警道、子供は15人(10子、5女)
- 長兄:葉篤仁(葉剛侯)
- 次兄:名前は不明で、早亡した。
- 三兄:葉篤義、政治家
- 四兄:葉篤信
- 五兄:葉篤荘、農学者
- 六哥:葉篤廉(葉方)、中国共産党の党員
- 八弟:空
- 九弟:葉篤成(方実、1917年生)、ボストン大学の教員
- 十弟:名前は不明で、早亡した。
- 十一弟:不詳
- 十二弟:葉篤慎、相声男優
- 長姉、二姉、三姉、四姉:不詳
- 五妹:葉篤柔、教員
栄典
[編集]- 1980年 - 中国科学院院士
- 1981年 - フィンランド科学アカデミー外籍院士
- 1982年 - イギリス王立気象学会名誉会員
- 1990年 - 米国気象学会名誉会員
受賞
[編集]脚注
[編集]- ^ “中国の近代気象学創始者の一人 葉篤正氏死去”. 東方網. (2013年11月16日) 2021年11月11日閲覧。
参考文献
[編集]- “葉篤正” (中国語). 中国科学院. (2013年) 2021年11月11日閲覧。
外部リンク
[編集]文化 | ||
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先代 顧震潮 |
中国科学院大気物理研究所所長 1978年–1981年 |
次代 陶詩言 |
先代 趙九章 |
中国気象学会理事長 1978年–1986年 |
次代 陶詩言 |