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松尾敬吾

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

松尾 敬吾(まつお けいご、1859年10月26日安政6年10月1日) - 1921年大正10年)2月1日)は熊本バンドの一人である。

肥後国八代に生まれる。熊本洋学校時代に1876年1月30日に花岡山の奉教の誓いに加わる。

1876年9月に同志社英学校に入学する。1878年4月14日に大西祝、大久保真次郎と共に洗礼を受けて西京第二公会に入会する。金森通倫徳富猪一郎上原方立と同じ教会員になる。

1881年同志社英学校を卒業し、神学科に進んで、1884年に神学科を卒業する。同志社卒業後に、沢山保羅が始めた岸和田伝道の定住伝道師になり、伝道地を貝塚、佐野に広めて、1885年岸和田教会創設する。

1885年に医学研修のために伝道師を辞める。以後、滋賀県立彦根中学校の英語教員になり、1911年より、1918年まで県立八代高等女学校の校長に就任する。

参考文献

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  • 『日本キリスト教歴史大事典』教文館、1988年
  • 高橋昌郎『明治のキリスト教』吉川弘文館、2003年
  • 同志社大学人文科学研究所 編『熊本バンド研究 日本プロテスタンティズムの一源流と展開』、みすず書房、1965年