Nothing Special   »   [go: up one dir, main page]

コンテンツにスキップ

屋久島町

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
やくしまちょう ウィキデータを編集
屋久島町
白谷雲水峡
地図
町役場位置
屋久島町旗 屋久島町章
屋久島町旗
2007年10月1日制定
屋久島町章
2007年10月1日制定
日本の旗 日本
地方 九州地方
都道府県 鹿児島県
熊毛郡
市町村コード 46505-4
法人番号 3000020465054 ウィキデータを編集
面積 540.45km2
総人口 11,103[編集]
推計人口、2024年10月1日)
人口密度 20.5人/km2
隣接自治体 なし
町の木 屋久杉
町の花 ヤクシマシャクナゲ
町の鳥 ヤクコマドリ
屋久島町役場
町長 荒木耕治
所在地 891-4292
鹿児島県熊毛郡屋久島町小瀬田849番地20
北緯30度23分25秒 東経130度39分05秒 / 北緯30.39025度 東経130.6515度 / 30.39025; 130.6515座標: 北緯30度23分25秒 東経130度39分05秒 / 北緯30.39025度 東経130.6515度 / 30.39025; 130.6515
外部リンク 公式ウェブサイト

屋久島町位置図

― 市 / ― 町・村

ウィキプロジェクト
テンプレートを表示

屋久島町(やくしまちょう)は、鹿児島県大隅諸島屋久島および口永良部島全域を行政区域とする熊毛郡に属す。人口は1万1千人ほど(2022年現在)。観光資源として屋久杉を有し、国内最大級の巨木である縄文杉や、豊臣秀吉の命令で京都の方広寺大仏殿(京の大仏)造営の為に伐採されたとする [1]屋久杉の切り株であるウィルソン株が著名である。

地理

[編集]

屋久島および口永良部島全域を行政区域とする。

白谷雲水峡側から見た宮之浦町。
  • 川(流域面積[2]):屋久島特別地域気象観測所(小瀬田・屋久島空港)における年間雨量の平年値は気象庁の全気象観測地点で最大であり、1981 - 2010年の累年平均値は4477.2 mmであるが[3]、屋久島の山岳の東側中腹はさらに雨量が多く、林野庁の屋久島森林環境保全センターにより、ヤクスギランド(1000 m)や淀川登山口(1380 m)では年間10,000 mm以上の雨量がしばしば観測されている[4]。この雨量や河床勾配が非常に大きい急峻な地形のため、各所に瀑布が存在する[2]
    • 宮之浦川 (62.8 km2)
    • 永田川 (36.3 km2)
    • 安房川 (86.1 km2)
    • 鯛ノ川
    • 小楊子川
    • 栗生川 (51.4 km2, 含小楊子川)
  • 山:町内はそのほとんどの領域を山岳が占め、中央部の1800 m以上の山を「奥岳」と称し、その周辺部の海岸から見える山を「前岳」と称する。特に奥岳は山岳信仰の対象とされ「岳参り」が年2回行われてきた[5]
  • ダム:尾立ダム(別名・荒川ダム)

地名

[編集]
旧上屋久町
  • 一湊
  • 楠川
  • 口永良部島
  • 小瀬田
  • 志戸子
  • 永田
  • 宮之浦
  • 吉田
旧屋久町
  • 安房
  • 尾之間
  • 栗生
  • 小島
  • 中間
  • 平内
  • 船行
  • 麦生
  • 湯泊

歴史

[編集]

文献に表れるのは、中国の歴史書『隋書』大業3年(607年煬帝の代に「夷邪久国」の記述が見えるのが最初であるが、この「夷邪久」は屋久島を指す説と、南島全般(すなわち種子島・屋久島より南方)を指す説とがある。日本では『日本書紀推古天皇24年(616年)に掖久(やく)人30名が帰化した、とあるのが初出。安土桃山時代には豊臣秀吉の命によって屋久杉が運ばれ建材に採用される。江戸時代宝永5年)1708年鎖国政策の中でイタリア人司祭のジョバンニ・シドッチの変装で屋久島に上陸し、本土に送られ新井白石による『西洋紀聞』の元となった。

行政

[編集]

町の行政機関

[編集]

令和元年5月7日の本庁舎新築移転により宮之浦、安房、尾之間の各支所を出張所へ変更。併せて尾之間出張所を現在地へ移転。

  • 屋久島町役場:〒891-4292 屋久島町小瀬田849番地20 ※小瀬田469番地45 (屋久島クリーンセンター)から移転
    • 宮之浦出張所(旧上屋久町役場):〒891-4205 屋久島町宮之浦1593番地
    • 安房出張所(屋久島町総合センター):〒891-4311 屋久島町安房187番地1
    • 尾之間出張所(尾之間保健センター):〒891-4404 屋久島町尾之間101番地 ※尾之間157番地 (旧屋久町役場)から移転
    • 栗生出張所(栗生診療所):〒891-4409 屋久島町栗生1743番地
    • 口永良部出張所(口永良部診療所):〒891-4208 屋久島町口永良部島372番地
    • 永田出張所(永田診療所):〒891-4201 屋久島町永田1247番地1

消防

[編集]

住所表記

[編集]

2007年の自治体合併に伴う表記の変更は無い(自治体名のみ変更)。

    • (例)熊毛郡上屋久町宮之浦○○○番地→熊毛郡屋久島町宮之浦○○○番地
    • (例)熊毛郡屋久町尾之間○○○番地→熊毛郡屋久島町尾之間○○○番地

県の行政機関

[編集]

国の行政機関

[編集]

地域

[編集]

人口

[編集]
屋久島町と全国の年齢別人口分布(2005年) 屋久島町の年齢・男女別人口分布(2005年)
紫色 ― 屋久島町
緑色 ― 日本全国
青色 ― 男性
赤色 ― 女性
屋久島町(に相当する地域)の人口の推移
1970年(昭和45年) 17,376人
1975年(昭和50年) 16,110人
1980年(昭和55年) 15,624人
1985年(昭和60年) 15,074人
1990年(平成2年) 13,860人
1995年(平成7年) 13,593人
2000年(平成12年) 13,875人
2005年(平成17年) 13,761人
2010年(平成22年) 13,589人
2015年(平成27年) 12,913人
2020年(令和2年) 11,858人
総務省統計局 国勢調査より

教育

[編集]

高等学校

[編集]

中学校

[編集]
町立

小学校

[編集]
町立
  • 屋久島町立宮浦小学校
  • 屋久島町立一湊小学校
  • 屋久島町立永田小学校
  • 屋久島町立金岳小学校(口永良部島)
  • 屋久島町立小瀬田小学校
  • 屋久島町立栗生小学校
  • 屋久島町立八幡小学校
  • 屋久島町立神山小学校
  • 屋久島町立安房小学校

交通

[編集]

空港

[編集]

航路

[編集]

主な航路は宮之浦港を発着するが、ジェットフォイルの一部は安房港を発着する。

町営船「フェリー太陽」(宮之浦港)
指宿港を寄港しない便がある。また、種子島・屋久島経由の順序が変わるほか、各島への直行便もある。
  • 鹿児島商船・新屋敷商事(いわさきグループ) フェリーはいびすかす
    • 鹿児島港谷山港二区(鹿児島市) - 西之表港 - 宮之浦港
  • コスモライン市丸グループ) ジェットフォイル「ロケット」
    • 鹿児島港本港区南埠頭 - 西之表港 - 宮之浦港
各島への直行便もある。

路線バス

[編集]

道路

[編集]

県道

[編集]
主要地方道
一般県道

名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事

[編集]
千尋の滝
トローキの滝
宮之浦岳
大川の滝(日本の滝百選)
縄文杉
ヤクスギランド

温泉

[編集]

口永良部島の温泉

[編集]

その他

[編集]

出身者

[編集]

屋久島を舞台とした作品

[編集]
ドラマ
ゲーム
舞台ではないがモデルとなった作品

脚注

[編集]
  1. ^ 京都市埋蔵文化財研究所『法住寺殿跡・六波羅政庁跡・方広寺跡』p.6
  2. ^ a b 海老瀬潜一、「屋久島溪流河川の晴天時・洪水時水質への酸性雨の影響」『環境科学会誌』 1996年 9巻 3号 p.377-391, doi:10.11353/sesj1988.9.377, 環境科学会
  3. ^ 気象庁, 平年値(年・月ごとの値)・屋久島
  4. ^ 屋久島における雨量観測 - 屋久島森林環境保全センター
  5. ^ 太田 (1993), p36-38.
  6. ^ ウィキソース出典 2007年(平成19年)4月16日総務省告示第245号『町の廃置分合 (平成19年総務省告示第245号)』。ウィキソースより閲覧。 
  7. ^ 屋久島で記録的大雨 土砂崩れで観光客ら262人孤立か”. 朝日新聞DIGITAL (2019年5月19日). 2023年8月9日閲覧。
  8. ^ 台風6号が接近 種子・屋久で線状降水帯 各地で被害”. MBC南日本放送 (2023年7月9日). 2023年8月9日閲覧。
  9. ^ 日本エアコミューターの機材・乗務員による運航

参考文献

[編集]
  • 太田五雄『屋久島の山岳:近代スポーツ登山65年の歴史と現在』南方新社、1993年。ISBN 978-4861240942 

外部リンク

[編集]