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小村徳男

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
小村 徳男
名前
愛称 オム、ノリ
カタカナ オムラ ノリオ
ラテン文字 OMURA Norio
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1969-09-06) 1969年9月6日(55歳)
出身地 島根県松江市
身長 181cm
体重 79kg
選手情報
ポジション DF
利き足 右足
ユース
1985-1987 日本の旗 松江南高校
1988-1991 日本の旗 順天堂大学
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1992-2001 日本の旗 横浜F・マリノス[注 1] 248 (22)
2002-2003 日本の旗 ベガルタ仙台 48 (4)
2004-2006 日本の旗 サンフレッチェ広島 67 (3)
2006-2007 日本の旗 横浜FC 33 (1)
2008 日本の旗 ガイナーレ鳥取 17 (0)
通算 413 (30)
代表歴2
1995-2002[1] 日本の旗 日本 30 (4)
監督歴
2013 日本の旗 ガイナーレ鳥取
1. 国内リーグ戦に限る。2008年12月24日現在。
2. 1998年6月26日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

小村 徳男(おむら のりお、1969年9月6日 - )は、島根県松江市出身の元プロサッカー選手、指導者。現役時代のポジションはディフェンダー。元日本代表。空中戦の強さとハードなプレーを売りに活躍したディフェンダー[2]

選手経歴

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松江市立乃木小学校松江市立湖南中学校出身[3]島根県立松江南高等学校時代からセンターバックとしてプレーするものの、当時は無名の存在だった[3]

順天堂大学へはスポーツ推薦ではなく学業推薦で入学、サッカー部に所属するものの当初は実質3軍に所属した[3]。大学2年時に1軍に抜擢され[3]、大学3年でレギュラーとなる[4]。この年は、順天堂大学蹴球部黄金期で数々のタイトルを獲得した[4]。大学卒業の翌年にJリーグ開幕を控え、当時JSLに所属しJリーグ参加を表明していたマツダ(サンフレッチェ広島)、松下(ガンバ大阪)、三菱(浦和レッドダイヤモンズ)、住金(鹿島アントラーズ)、日産(横浜マリノス)などからオファーが届いた中で、大学時代から代表で共にプレーした井原正巳とのプレーを選択する[4]

1992年、横浜マリノスへ入団[4]。Jリーグ開幕とともに井原とセンターバックのコンビで活躍。1996年11月9日広島戦では、DFでありながらハットトリックを達成した[5]。井原に次ぐセンターバックの人員として日本代表にも招集され、1998年のフランスW杯のアジア一次予選ではライバルのオマーン戦で1-0となる貴重なゴールを決めるなど、レギュラーとして起用された。しかし、最終予選第2戦のUAE戦では、井原がFKを頭で合わせたボールはゴールに向かい、何もしなくても間違いなくゴールラインを割って得点となるところであったが、オフサイドのポジションに居た小村がボールを触って押し込んでしまったため、ノーゴールの判定をされて0-0の引き分けに終わった[6]。その後、チームが3バックを基調とした際に加わったもう1人のストッパーの秋田が存在感を示すと、岡田体制後4バックに戻した際に秋田のほうがレギュラーとなり、さらにサイドバック要員の中西がストッパーとして活躍し始めると、本大会では3バックにも関わらずベンチ要員となった。それでも第3戦ジャマイカ戦では前2戦で累積警告となった中西に代わって後半途中まで出場した。

2002年にベガルタ仙台へ移籍。チームの守備の柱として奮闘。

2004年からは地元島根に近いサンフレッチェ広島へ移籍。

2006年シーズン途中にJ2横浜FCへ期限付き移籍し、J2優勝に貢献。シーズン終了後には移籍元の広島からの戦力外通告に伴い完全移籍した。

しかし2007年シーズンにはチームがJ2へ降格し、シーズン終了後に戦力外通告を受ける。その後、地元である山陰からJリーグ参入を目指す日本フットボールリーグガイナーレ鳥取へ移籍。2008年シーズン終了後、「来年に向けて監督・チームとの信頼関係を築くことができず」として現役引退[7]

引退後

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2009年、JFAアンバサダー[8] として各地でサッカー教室を開催、同年Jリーグアウォーズにて功労選手賞を受賞。2010年、JFA 公認S級コーチライセンスを講習[8]

2012-13シーズンから、フジテレビワンツーネクストでのドイツ・ブンデスリーガ中継で解説者を務める。

2012年12月7日、2013年シーズンからガイナーレ鳥取の監督に就任することが発表された[9]。だが第28節終了時点で20位と低迷し、8月12日に解任された[10]

現在はサッカースクールSKYのコーチを務め、子供達の指導にあたる。

エピソード

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所属クラブ

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個人成績

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国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
1992 横浜M - J - 1 1 5 1 6 2
1993 29 0 3 0 3 0 35 0
1994 33 3 3 2 4 1 40 6
1995 43 5 - 2 1 45 6
1996 24 5 14 4 1 0 39 9
1997 5 9 0 0 0 2 0 11 0
1998 32 3 0 0 1 0 33 3
1999 横浜FM J1 27 3 6 0 3 0 36 3
2000 30 2 6 2 3 2 39 6
2001 21 1 5 0 0 0 26 1
2002 仙台 4 28 4 5 0 2 0 35 4
2003 20 0 5 0 1 0 26 0
2004 広島 3 25 3 5 1 1 0 31 4
2005 33 0 5 0 2 0 40 0
2006 9 0 1 0 - 10 0
横浜FC 30 J2 15 1 - 0 0 15 1
2007 J1 18 0 1 0 2 0 21 0
2008 鳥取 JFL 17 0 - 0 0 17 0
通算 日本 J1 381 29 60 10 32 5 473 44
日本 J2 15 1 - 0 0 15 1
日本 JFL 17 0 - 0 0 17 0
総通算 413 30 60 10 32 5 505 45

その他の公式戦

代表歴

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出場大会など

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試合数

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  • 国際Aマッチ 30試合 4得点(1995年 - 2002年)[1]


日本代表国際Aマッチ
出場得点
1995 4 0
1996 12 2
1997 10 2
1998 4 0
2002 0 0
通算 30 4

出場

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No. 開催日 開催都市 スタジアム 対戦相手 結果 監督 大会
1. 1995年05月21日 日本の旗広島県 広島広域公園陸上競技場  スコットランド △0-0 加茂周 キリンカップ
2. 1995年06月06日 イングランドの旗リバプール  ブラジル ●0-3 アンブロカップ
3. 1995年06月10日 イングランドの旗ノッティンガム  スウェーデン △2-2 アンブロカップ
4. 1995年09月20日 日本の旗東京都 国立霞ヶ丘競技場陸上競技場  パラグアイ ●1-2 デサント・アディダスマッチ
5. 1996年02月10日 オーストラリアの旗ウォロンゴン  オーストラリア ○4-1 国際親善試合
6. 1996年02月14日 オーストラリアの旗メルボルン  オーストラリア ●0-3 国際親善試合
7. 1996年02月19日 香港の旗香港  ポーランド ○5-0 カールスバーグカップ
8. 1996年02月22日 香港の旗香港  スウェーデン △1-1(PK4-5) カールスバーグカップ
9. 1996年05月26日 日本の旗東京都 国立霞ヶ丘競技場陸上競技場  ユーゴスラビア ○1-0 キリンカップ
10. 1996年05月29日 日本の旗福岡県 東平尾公園博多の森球技場  メキシコ ○3-2 キリンカップ
11. 1996年08月25日 日本の旗大阪府 長居陸上競技場  ウルグアイ ○5-3 国際親善試合
12. 1996年09月11日 日本の旗東京都 国立霞ヶ丘競技場陸上競技場  ウズベキスタン ○1-0 JFA75周年記念試合
13. 1996年12月06日 アラブ首長国連邦の旗アル・アイン  シリア ○2-1 アジアカップ
14. 1996年12月09日 アラブ首長国連邦の旗アル・アイン  ウズベキスタン ○4-0 アジアカップ
15. 1996年12月12日 アラブ首長国連邦の旗アル・アイン  中華人民共和国 ○1-0 アジアカップ
16. 1996年12月15日 アラブ首長国連邦の旗アル・アイン  クウェート ●0-2 アジアカップ
17. 1997年02月09日 タイ王国の旗バンコク  タイ △1-1 キングスカップ
18. 1997年03月15日 タイ王国の旗バンコク  タイ ●1-3 国際親善試合
19. 1997年03月23日 オマーンの旗マスカット  オマーン ○1-0 ワールドカップ予選
20. 1997年03月25日 オマーンの旗マスカット  マカオ ○10-0 ワールドカップ予選
21. 1997年03月27日 オマーンの旗マスカット  ネパール ○6-0 ワールドカップ予選
22. 1997年05月21日 日本の旗東京都 国立霞ヶ丘競技場陸上競技場  韓国 △1-1 ワールドカップ記念試合
23. 1997年09月07日 日本の旗東京都 国立霞ヶ丘競技場陸上競技場  ウズベキスタン ○6-3 ワールドカップ予選
24. 1997年09月19日 アラブ首長国連邦の旗アブダビ  アラブ首長国連邦 △0-0 ワールドカップ予選
25. 1997年09月28日 日本の旗東京都 国立霞ヶ丘競技場陸上競技場  韓国 ●1-2 ワールドカップ予選
26. 1997年10月04日 カザフスタンの旗アルマトイ  カザフスタン △1-1 ワールドカップ予選
27. 1998年04月01日 大韓民国の旗ソウル  韓国 ●1-2 岡田武史 ワールドカップ記念試合
28. 1998年05月17日 日本の旗東京都 国立霞ヶ丘競技場陸上競技場  パラグアイ △1-1 キリンカップ
29. 1998年06月03日 スイスの旗ローザンヌ  ユーゴスラビア ●0-1 国際親善試合
30. 1998年06月26日 フランスの旗リヨン  ジャマイカ ●1-2 ワールドカップ

得点

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# 開催日 開催地 会場 相手 結果 大会
1 1996年02月19日 香港の旗香港  ポーランド ○5-0 カールスバーグカップ
2 1996年02月22日 香港の旗香港  スウェーデン △1-1(PK4-5) カールスバーグカップ
3 1997年03月23日 オマーンの旗マスカット  オマーン ○1-0 ワールドカップ予選
4 1997年03月27日 オマーンの旗マスカット  ネパール ○6-0 ワールドカップ予選

関連項目

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指導者経歴

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監督成績

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年度 クラブ 所属 リーグ戦 カップ戦
順位 試合 勝点 ナビスコ杯 天皇杯
2013 鳥取 J2 20位 28 26 5 11 12 - -

解任時点の成績。

脚注

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  1. ^ 1998年までは横浜マリノス

出典

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  1. ^ a b “小村 徳男”. サッカー日本代表データベース. http://www.jfootball-db.com/players_a/norio_omura.html 
  2. ^ 別冊サッカーマガジン秋季号 平成5年11月1日号 サッカーカタログ p.158 ベースボールマガジン社
  3. ^ a b c d 無名の存在から這い上がった努力の男。新監督・小村徳男の現役時代[前編]”. ぐるっと中国DX (2013年1月15日). 2013年1月31日閲覧。
  4. ^ a b c d 無名の存在から這い上がった努力の男。新監督・小村徳男の現役時代[後編]”. ぐるっと中国DX (2013年1月29日). 2013年1月31日閲覧。
  5. ^ ハットトリック一覧-Jleague Data site 2018年2月10日
  6. ^ 週刊サッカーマガジン 1997//10/8 p.11
  7. ^ ガイナーレ鳥取 小村徳男選手引退のお知らせ
  8. ^ a b 2010(平成22)年度公認S級コーチ養成講習会 受講者一覧(JFA公式、pdf)
  9. ^ 小村徳男氏 監督就任のお知らせ ガイナーレ鳥取公式サイト 2012年12月7日
  10. ^ 監督交代のお知らせ ガイナーレ鳥取公式サイト 2013年8月12日
  11. ^ サンフレ逆転負け14位”. 中国新聞 (1996年11月9日). 2013年8月31日閲覧。
  12. ^ プロフィール | 小村徳男(監督、元サッカー選手、DF) official ブログ by ダイヤモンドブログ
  13. ^ 将棋名人戦 第1局2日目ダイジェスト:朝日新聞デジタル
  14. ^ 渡辺 明棋王VS.サッカー元日本代表・小村徳男さんの異色対局 - NHKテキストView・2015年11月10日

関連項目

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外部リンク

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