日産化学
表示
(大日本人造肥料から転送)
種類 | 株式会社 |
---|---|
市場情報 | |
略称 | 日産化[1] |
本社所在地 |
日本 〒103-0027 東京都中央区日本橋二丁目5番1号 日本橋髙島屋三井ビルディング 18・19階 |
設立 |
1921年(大正10年)4月20日 (スタンダード油脂株式会社) |
業種 | 化学 |
法人番号 | 1010001008734 |
事業内容 | 化学品、機能性材料、農業化学品、医薬品、他 |
代表者 | 八木 晋介(代表取締役社長)[2] |
資本金 | 189億4200万円(2021年3月31日現在)[2] |
発行済株式総数 | 1億4500万株(2021年3月31日現在)[2] |
売上高 |
連結:2091億2100万円、単独:1625億1700万円 (2021年3月期)[2] |
営業利益 |
連結:425億3000万円、単独:373億3200万円 (2021年3月期)[2] |
純利益 |
連結:454億8100万円、単独:409億3800万円 (2021年3月期)[2] |
純資産 |
連結:2005億6200万円、単独:1656億1500万円 (2021年3月31日現在)[2] |
総資産 |
連結:2655億5900万円、単独:2255億5700万円 (2021年3月31日現在)[2] |
従業員数 |
連結:2,688人、単独:1,924人 (2021年3月31日現在)[2] |
決算期 | 3月31日 |
主要株主 |
日本マスタートラスト信託銀行(信託口) 14.27% 日本カストディ銀行(信託口) 8.81% みずほ信託銀行(株)退職給付信託みずほ銀行口再信託受託者資産管理サービス信託銀行(株) 4.01% (2021年3月31日現在)[2] |
主要子会社 |
日星産業 100% NCK Co., Ltd. 90% |
外部リンク |
www |
日産化学株式会社(にっさんかがく)は、日本の化学メーカー。1887年(明治20年)4月、日本初の化学肥料製造会社として誕生した。日経平均株価の構成銘柄の一つ[3]。
旧日産コンツェルンの流れを汲むが、戦後の財閥解体により、現在は旧日本産業の源流を承継するENEOSホールディングスとも、今も日産を名乗る中では最大の日産自動車とも資本関係はない。ただし、日産・日立グループの企業で構成される、春光懇話会の会員会社(春光グループ)の一つである。
また、化学肥料商品のほか農薬関連商品『ラウンドアップ』シリーズも展開[注釈 1]している
沿革
[編集]- 1887年(明治20年)4月 - 高峰譲吉博士が、イギリス留学中に化学肥料製造工場を見学した内容を日本に紹介した。これを受けて、渋沢栄一(第一銀行創業者)、益田孝(当時の三井財閥有力関係者)など当時の財界の首脳が発起人となり、当社の前身である東京人造肥料会社を設立。
- 1889年(明治22年)7月 - 日本舎密製造会社(のちの日本化学肥料株式会社)設立。
- 1892年(明治25年)- 大阪硫曹株式会社創業[4]。
- 1893年(明治26年)12月 - 東京人造肥料株式会社に社名変更。
- 1895年(明治28年)12月 - 合資会社王子製造所(のちの関東酸曹株式会社)設立。
- 1910年(明治43年)7月 - 東京人造肥料会社が大日本人造肥料株式会社に商号変更。同年10月、大阪硫曹を合併[5]。
- 1922年(大正11年)6月 - 大正運送株式会社(現・日産物流)設立。
- 1923年(大正12年)5月 - 関東酸曹と日本化学肥料を合併、肥料・酸アルカリ製造の化学会社となる。
- 1930年(昭和5年)- ヤマハ釧路工場を買い取る。
- 1932年(昭和7年)10月 - 株式会社文化農報社(現・日星産業)設立。
- 1937年(昭和12年)12月 - 日産化学工業株式会社に商号変更。
- 1943年(昭和18年)4月 - 日本鉱業株式会社(現・ENEOSホールディングス)に合併、同社の化学部門となる。
- 1945年(昭和20年)4月 - 日本油脂株式会社が、日本鉱業の化学部門の営業包括譲渡を受け、日産化学工業株式会社に商号変更。
- 1947年(昭和22年)10月30日 - 昭和天皇が富山工場に行幸(昭和天皇の戦後巡幸の一環)[6]。
- 1949年(昭和24年)5月 ‐ 証券取引所の再開に伴い、株式上場。
- 1949年(昭和24年)7月 ‐ 同社の油脂、塗料、火薬、溶接部門を分離し、日本油脂株式会社(現・日油)を設立。
- 1969年(昭和43年)3月7日 - 地震により王子工場のタンク2基が崩れ硫酸などが流出[7]。
- 2018年(平成30年)7月 - 本社を現在地(日本橋高島屋三井ビルディング)へ移転し、同時に日産化学株式会社へ商号変更。
-
日本舎密 1908年頃
-
大阪硫曹 1908年頃
-
大阪硫曹大和田工場 1908年頃
-
東京人造肥料 1908年頃
-
1939年の広告。写真の建物は日産館
事業所
[編集]- 本社:東京
- 工場:袖ケ浦、袖ケ浦工場五井製造所、埼玉、富山、名古屋、山陽小野田(旧小野田市)
- 物質科学研究所(千葉県船橋市)
- 材料科学研究所(千葉県船橋市、千葉県袖ケ浦市、富山県富山市)
- 生物科学研究所(埼玉県白岡市)
- 営業拠点:札幌、仙台、名古屋、大阪、福岡
主な製品
[編集]化学品事業
[編集]機能性材料事業
[編集]農業化学品事業
[編集]医薬品事業
[編集]健康食品事業
[編集]関係会社
[編集]2021年3月末時点、子会社 28社、関連会社11社である[2]。
国内
[編集]海外
[編集]- Nissan Chemical America Corporation (アメリカ)
- Nissan Chemical Europe S.A.S. (フランス)
- NCK Co., Ltd. (韓国)
- Nissan Chemical Agro Korea Ltd. (韓国)
- 台湾日産化学股份有限公司 (台湾)
- 日産化学製品(上海)有限公司 (中国)
- Nissan Chemical Do Brasil (ブラジル)
- Nissan Agro Tech India PVT.LTD. (インド)
- 日産化学材料科技(蘇州)有限公司 (中国)
在籍した人物
[編集]- 苫米地義三 - 元運輸大臣。元社長
- 石川一郎 - 元社長、会長。初代経済団体連合会会長
- 日高輝 - 元社長
- 香山蕃 - 日本ラグビーフットボール協会第3代会長。元社員
- 三木鶏郎 - 作曲家。元社員
- 坂下光明 - 元取締役。
諸問題
[編集]脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ 基本情報 2021年3月9日閲覧
- ^ a b c d e f g h i j k 第151期有価証券報告書日産化学株式会社
- ^ 構成銘柄一覧:日経平均株価 Nikkei Inc. 2021年10月8日閲覧。
- ^ 下谷政弘「大正期ソーダ業界と日本曹達の成立 - 日曹コンツェルン形成史(1) -」『經濟論叢』第127巻第2-3号、京都大學經濟學會、1981年2月、141-171頁、CRID 1390290699819220352、doi:10.14989/133864、hdl:2433/133864、ISSN 0013-0273。
- ^ [1]
- ^ 原武史『昭和天皇御召列車全記録』新潮社、2016年9月30日、98頁。ISBN 978-4-10-320523-4。
- ^ 鉄ヤグラが腐食 硫酸流出の日産化学『朝日新聞』1968年(昭和45年)3月8日夕刊 3版 11面
- ^ 日産化学の健康食品公式サイト
- ^ “日産化学、硝酸の出荷停止 メッキ向けで車生産に影響も”. 日本経済新聞 (2022年5月11日). 2022年12月5日閲覧。
関連項目
[編集]- 土壌汚染
- ダイオキシン類
- 汚染原因者負担の原則
- 公害防止事業費事業者負担法
- ピタバスタチン - 日産化学工業が創薬し、興和が開発した。
- 速星駅 - 富山工場へ専用線が分岐している。