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大島義脩

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
大島義脩
大島義脩

大島 義脩(おおしま よしなが、明治4年8月1日1871年9月15日) - 昭和10年(1935年7月1日)は日本教育者旧姓蘆田。宮中顧問官[1]

来歴

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明治4年(1871年)8月、丹波国氷上郡佐治村(現兵庫県丹波市)に豪農蘆田家の四男として生まれた[2]

8歳で母の実家である大島家に養子に入り、司法官であった叔父、大島貞敏に養育された[2]

明治27年(1894年帝国大学文科大学哲学科を卒業[1]

四高教授、東京音楽学校長、八高校長、女子学習院長、帝室博物館総長などを歴任。

栄典

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位階
勲章

家族・親族

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脚注

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  1. ^ a b c d e f g 『人事興信録. 第10版』(昭和9年)上巻オ一一四
  2. ^ a b 『ちょっと名大史』90(第八高等学校校長 大島義脩)
  3. ^ 『官報』第1201号「叙任及辞令」1916年08月01日
  4. ^ 『官報』第2709号「叙任及辞令」1921年8月11日。
  5. ^ 『官報』第2129号「叙任及辞令」1934年2月8日。
公職
先代
高橋健自(→欠員)
日本の旗 東京帝室博物館歴史課長
1930年 - 1932年
次代
杉栄三郎
課長事務取扱