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バンド名は[[ニュー・オーダー]]の[[グルーピー]]の名称''Epson Mad Funkers''から。
バンド名は[[ニュー・オーダー]]の[[グルーピー]]の名称''Epson Mad Funkers''から。

デビュー当初は、意外とイケてるルックスが話題となり、アイドル・バンドとして人気を博したEMF。同様なエレクトロニック・ロック・スタイルでありながら、職人気質のジーザス・ジョーンズを支持する熱心なリスナーからは好かれなかった、ちょっぴりかわいそうなヤツラでもある。
90年「アンビリーヴァブル」でデビュー。「アンビリーヴァボ~♪」のキメ・フレーズをイギリスのティーンエイジャーは皆、口ずさみ全英2位を記録。マンチェスター・シーンとアシッド・ムーヴメントが生み落とした産物と例えられるサウンドは、ハウス/テクノ/ヒップホップ/ロックをシェイクした、ソフトなサイケデリック感が漂うものだ。それは、クラブ・ミュージックをバンド・サウンドによってライヴ感に満ちたものへと変換させた、とも言えるだろう。
その後、ライヴでのハードエッジなパフォーマンスやオリエンタル・テイストを取り入れたサウンドが評価されアイドル・イメージを打破、上昇気流に乗る勢いをみせた。――しかし、もとはメンバーの一人が経営していたスケートボード・ショップの常連によって結成されたEMF。結束力は意外なほどもろく、メンバー間の確執や個々の乱痴気グセも重なり、自然消滅で息をひきとった。


== メンバー ==
== メンバー ==

2010年1月12日 (火) 14:38時点における版

EMP
出身地 イギリスの旗 イギリス
ジャンル ロック
活動期間 19891997
20012002
20072009
レーベル EMI/パーロフォン
メンバー

ジェームス・アットキン (Vo/G)
イアン・デンチ (G/Key)
デリー・ブラウンソン (Key/Sampler)

マーク・デグロード (Ds)
旧メンバー ザック・フォーリー (B)

EMF(イーエムエフ)は、イギリスロックバンドである。

1位の大ヒット曲「アンビリーヴァブル」(1990年)を持つ。

バンド名はニュー・オーダーグルーピーの名称Epson Mad Funkersから。

デビュー当初は、意外とイケてるルックスが話題となり、アイドル・バンドとして人気を博したEMF。同様なエレクトロニック・ロック・スタイルでありながら、職人気質のジーザス・ジョーンズを支持する熱心なリスナーからは好かれなかった、ちょっぴりかわいそうなヤツラでもある。 90年「アンビリーヴァブル」でデビュー。「アンビリーヴァボ~♪」のキメ・フレーズをイギリスのティーンエイジャーは皆、口ずさみ全英2位を記録。マンチェスター・シーンとアシッド・ムーヴメントが生み落とした産物と例えられるサウンドは、ハウス/テクノ/ヒップホップ/ロックをシェイクした、ソフトなサイケデリック感が漂うものだ。それは、クラブ・ミュージックをバンド・サウンドによってライヴ感に満ちたものへと変換させた、とも言えるだろう。 その後、ライヴでのハードエッジなパフォーマンスやオリエンタル・テイストを取り入れたサウンドが評価されアイドル・イメージを打破、上昇気流に乗る勢いをみせた。――しかし、もとはメンバーの一人が経営していたスケートボード・ショップの常連によって結成されたEMF。結束力は意外なほどもろく、メンバー間の確執や個々の乱痴気グセも重なり、自然消滅で息をひきとった。

メンバー

  • ジェームス・アットキン ヴォーカル ギター
  • イアン・デンチ ギター・キーボード
  • ザック・フォーリー ベース 2001年に死去
  • デリー・ブラウンソン キーボード サンプル
  • マーク・デグロード ドラム

ディスコグラフィー

  • Schubert Dip 1991年
  • Unexplained EP 1992年
  • Stigma 1992年
  • Cha Cha Cha 1995年
  • Epson Mad Funker: The Best Of EMF 2001年(ベーシストの追悼アルバムである)

音楽性とファッション

イギリスの音楽は当時、ストーン・ローゼズを源流とするブリットポップが主流であったが、EMFはそれとは全く異なり、ジーザス・ジョーンズのそれに近いテクノロックという独特のスタイルであった。 また、ビルボード全米シングルチャートの一位を記録した「アンビリーヴァブル」はテクノ+ロック+ヒップホップという他に類の無いような音楽性だった。 のちにデジタルロックと呼ばれたが、アメリカ進出が成功したのもこの斬新な音楽性がきっかけとも考えられる。歌詞は若者特有の少々反社会的なものであった。

メンバーのファッションはトラッドな普段着を身上とするブリットポップのバンドとは異なり、これまたジーザス・ジョーンズよろしく スケーター風だった。 とはいえ、アルバム2枚目以降はジーザス・ジョーンズ以上によりハードなメタル風なギターサウンドを増やし、ポップなメロディを排してダークな独自色を強めて行った。