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郡山城 (大和国)
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== 城郭 == [[ファイル:Kooriyamajyou soukuruwa.jpg|thumb|upright|郡山城惣構え/{{国土航空写真}}]] [[ファイル:Kooriyama jyou 010.JPG|thumb|upright|郡山城模型/大和郡山市民会館蔵]] 城跡は[[1881年]](明治14年)に旧郡山中学校の校舎が二ノ丸に、旧郡山園芸高校が麒麟曲輪に建設されるなど、大きく姿をかえた。長らく荒廃していた郡山城であったが、1960年([[昭和]]35年)7月28日、本丸と毘沙門曲輪が奈良県指定史跡となり、[[1983年]](昭和58年)に追手門が、翌1984年(昭和59年)追手東隅櫓が、1987年(昭和62年)には追手向櫓が市民の寄付などにより復元された。 {{Clear|right}} === 本丸 === [[ファイル:Kooriyama jyou 002.JPG|thumb|upright=1.2|本丸]] ; 天守台 : この天守は逆さ地蔵の祟りや大和大地震で倒壊したという俗説が残っている。『郡山城と城下町』によると「現存している天守台に5層6階の天守は建築学上から考えて建てられること不可能」としている。しかし2013年(平成25年)から2017年(平成29年)にかけて調査・整備事業が行われ、礎石が確認された。この調査で、豊臣秀長時代あるいは増田長盛時代には天守が確実に存在し、後に[[二条城]]更に[[淀城]]へ移築された話も事実と確定された<ref>{{Cite web |和書 |url=https://www.city.yamatokoriyama.nara.jp/report/machikado/003687.html |title=まちかどレポート380 郡山城天守台発掘調査現地説明会に行ってきました(平成26年9月29日掲載) |publisher=大和郡山市 |access-date=2017-05-08 |archive-url=https://web.archive.org/web/20200823151935/https://www.city.yamatokoriyama.nara.jp/report/machikado/003687.html |archive-date=2020-08-23}}</ref>。2017年(平成29年)3月26日から展望台施設が公開された<ref>{{Cite web |和書 |url=http://www.city.yamatokoriyama.nara.jp/kankou/kanko/info/004503.html |title=郡山城天守台展望施設 完成~3月26日(日)13時頃から一般公開開始~ |publisher=大和郡山市 |access-date=2017-03-26 |archive-url=https://web.archive.org/web/20170326231102/http://www.city.yamatokoriyama.nara.jp/kankou/kanko/info/004503.html |archive-date=2017-03-26}}</ref>。 :; [[転用石]] :: 天守台の裏手、北側の石垣には、付近から徴用されて築城に使われた数多くの石地蔵が、石垣に組み込まれたまま城下の人々により祀られている。 :: 石組みの間から奥を覗き込むと、逆さになった状態で石の間に埋もれている地蔵を確認することができ、これは'''逆さ地蔵'''と呼ばれている。 :: これらの地蔵のために、北側の石垣沿いにはさらに多くの石地蔵が奉納されている。また地蔵以外にも由来の変わった石は多く、市内東部の[[平城京]]羅城門跡から運ばれた礎石と伝わるものなどもある。 ; 毘沙門曲輪 : 現在の柳沢文庫がある一帯で、もともとは「本丸ニの郭」と呼称されていたが、柳沢氏入部以降に「毘沙門曲輪」と改名した。2021年(令和3年)に本丸と繋がっていた極楽橋が再建された<ref>{{Cite web |和書 |url=https://mainichi.jp/articles/20160818/ddl/k29/040/433000c |title=「極楽橋」を再建 柳澤家家臣家系、夫の遺志に従う 女性3億円寄付 大和郡山 /奈良 |website=毎日新聞 |date=2016-08-18 |access-date=2017-05-26 |archive-url=https://web.archive.org/web/20200820102024/https://mainichi.jp/articles/20160818/ddl/k29/040/433000c |archive-date=2020-08-20}}</ref>。 ; 法印曲輪 : 現在の市民会館がある一帯で、一庵丸、常盤[[曲輪]](常盤郭)とも呼ばれている。一庵法印良慶の屋敷があったので法印曲輪と呼ばれている。 ; 陣甫曲輪 : 現在民家が立ち並んでいる一帯。もともとは城兵の調練の場として使われていた空き地。出軍の時は武者溜まりとしても使用されていた。 ; 玄武曲輪 : もともとは納戸曲輪と呼ばれていたが、柳沢氏入部以降に「玄武曲輪」へ改名した。硝煙[[倉庫|蔵]]が5棟建ち並び、西側には玄武門が建っていた。 <gallery> Koriyama Castle (Yamato), Tenshudai.jpg|天守台 Kooriyama jyou 21.jpg|天守台転用石 Sakasa jizo.jpg|天守台転用石(逆さ地蔵) 逆さ地蔵(郡山城址).jpg|逆さ地蔵(奥が顔 下を向いている) Koriyama Castle (Yamato), Rajomon-soseki.jpg|天守台転用石(伝羅城門礎石) Kooriyama jyou 22.jpg|極楽橋跡 Koriyama-Castle-M6742.jpg|柳沢文庫 法印曲輪跡_2022.jpg|法印曲輪跡 Koriyama castle01.jpg|本丸西面石垣 Yanagisawa-jinja, sandou.jpg|柳沢神社 </gallery> '''復元櫓と復元門''' <gallery> 追手門(梅林門)_2022.jpg|追手門(梅林門) 追手向櫓_2022.jpg|追手向櫓 Kooriyama jyou 12.jpg|追手東隅櫓 Kooriyama jyou 009.JPG|東隅櫓と十九間[[多聞櫓]] </gallery> === 二ノ丸 === [[ファイル:Kooriyama jyou 11.jpg|thumb|upright|県立郡山高等学校]] [[ファイル:Kooriyama jyou 17.jpg|thumb|upright|[[本丸]]と二ノ丸を結ぶ台所橋]] ; 二ノ丸屋形 : 現在の[[奈良県立郡山高等学校]]が建っている一帯で、松平忠明時代に整備され、城主の[[居館]]があった。藩の政庁もここにあり、巨大な御殿群を形成していた。(上記郡山城旧観図も参照) ; 新宅曲輪 : 新屋敷が建てられたことに関係する名称であると思われているが、本多忠平時代にはすでに存在していた名称で、古くからあったと考えられている。別名緑曲輪とも呼ばれている。 ; 御厩曲輪 : もともとは新宅曲輪であったが、松平忠明時代に別の場所にあった[[厩]]を、新宅曲輪の北半分に移し、厩を2棟と[[馬場]]を設けた。 ; 松倉曲輪 : 二ノ丸屋敷や新宅で消費される[[米]]蔵が建っていた一画。 === 三の丸 === ; 柳曲輪 : 現在のやまと郡山城ホールのある一帯で、五軒屋敷掘の東岸と五軒屋敷を含む。4軒の[[家老]]屋敷と1軒の[[評定所]]が占めていた。またこの周辺に筒井時代の本丸があったとする説があり、1983年(昭和58年)マンション建設に伴う発掘調査が実施され、多数の注目すべき[[遺物]]が発見されたが、筒井時代の本丸があったという根拠は得られなかった。 ; 麒麟曲輪 : もともとは「西ノ丸」と呼称されていたが、柳沢氏入部以降「麒麟曲輪」へ改名された。[[柳沢吉保]]が[[徳川綱吉]]から麒麟の[[書 (造形芸術)|書]]を与えられたことから、[[柳沢吉里]]が命名したと言われている。
郡山城 (大和国)
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