「上下」を編集中
表示
この編集を取り消せます。 下記の差分を確認して、本当に取り消していいか検証してください。よろしければ変更を公開して取り消しを完了してください。
最新版 | 編集中の文章 | ||
66行目: | 66行目: | ||
戊辰戦争後の[[日本]]は[[東京都|東京]]が首都なので、鉄道や道路の「上り」は、東京方面を指すことになる。[[本州]][[日本海]]側では、[[道路元標]]は[[新潟市]]だが、「上り」という時は[[長岡市|長岡]]方面を指す(JRの鉄道網である[[弥彦線]]を除く)。これは、[[鶴岡市|鶴岡]]方面から東京に向かう時、[[富山市|富山]]方面から東京・新潟方面に向かう時、長岡で衝かるためである。 |
戊辰戦争後の[[日本]]は[[東京都|東京]]が首都なので、鉄道や道路の「上り」は、東京方面を指すことになる。[[本州]][[日本海]]側では、[[道路元標]]は[[新潟市]]だが、「上り」という時は[[長岡市|長岡]]方面を指す(JRの鉄道網である[[弥彦線]]を除く)。これは、[[鶴岡市|鶴岡]]方面から東京に向かう時、[[富山市|富山]]方面から東京・新潟方面に向かう時、長岡で衝かるためである。 |
||
日本では、地方から東京に移動することを上京、東京から地方に向かうことを下野と表現することから、東京、特に千代田区・中央区・港区の都心三区を「上」と表現することがある。 |
|||
戊辰戦争前の令制国体制では、交通網の上下から転じて、概ね[[京都市|京都]]に近い方は「'''上方'''(かみがた)」、京都から遠い方は「'''下方'''(しもがた)」と呼ばれていた。尚、戊辰戦争後の現代では、地方から東京に行くことが「上京」と呼ばれ、地方から京都に行くことは「上洛」と呼んで区別されている。 |
戊辰戦争前の令制国体制では、交通網の上下から転じて、概ね[[京都市|京都]]に近い方は「'''上方'''(かみがた)」、京都から遠い方は「'''下方'''(しもがた)」と呼ばれていた。尚、戊辰戦争後の現代では、地方から東京に行くことが「上京」と呼ばれ、地方から京都に行くことは「上洛」と呼んで区別されている。 |