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'''フランカ・ポテンテ'''('''Franka Potente'''、[[1974年]][[7月22日]] - )は、[[ドイツ]]出身の[[女優]]。
'''フランカ・ポテンテ'''('''Franka Potente'''、[[1974年]][[7月22日]] - )は、[[ドイツ]]出身の[[俳優|女優]]。


== プロフィール ==
== 来歴 ==
=== 来歴 ===
=== 生い立ち ===
父親は教師<ref>[http://www.filmreference.com/film/27/Franka-Potente.html Franka Potente Biography (1974-)]</ref>。ミュンヘンの演劇学校やニューヨークの[[リー・ストラスバーグ演劇学校]]で演技を学んだ。1998年、[[トム・ティクヴァ]]監督の『ラン・ローラ・ラン』のヒットで世界的に知られるようになった。2001年の『ブロウ』からはアメリカ映画も出演、『ボーン・アイデンティティー』では[[マット・デイモン]]演じる主恋人役抜擢された
父親は教師<ref>[http://www.filmreference.com/film/27/Franka-Potente.html Franka Potente Biography (1974-)]</ref>。「ポテテ」というイタリア風名字は、19世紀に[[シチ]]からドイツ移住た屋根ふき職人の先祖由来する<ref>https://www.imdb.com/name/nm0004376/bio/</ref>


ミュンヘンの演劇学校やニューヨークの[[リー・ストラスバーグ演劇学校]]で演技を学んだ。
2007年には[[エリック・バナ]]と共演したオーストラリア映画『Romulus, My Father』、2008年には[[スティーヴン・ソダーバーグ]]監督で[[ベニチオ・デル・トロ]]が[[チェ・ゲバラ]]を演じる作品に出演する予定である。

=== キャリア ===
1998年、[[トム・ティクヴァ]]監督の『ラン・ローラ・ラン』のヒットで世界的に知られるようになった。2001年の『ブロウ』からはアメリカ映画にも出演し、『ボーン・アイデンティティー』では[[マット・デイモン]]演じる主人公の恋人役に抜擢された。

2007年には[[エリック・バナ]]と共演した[[オーストラリアの映画|オーストラリア映画]]『[[ディア マイ ファーザー]]』、2008年には[[スティーヴン・ソダーバーグ]]監督、[[ベニチオ・デル・トロ]]主演の『[[チェ (映画)|チェ 28歳の革命 / 39歳 別れの手紙]]』に出演。

執筆業にも興味を示し、2010年には日本を題材とした短編小説集"zehn"を上梓。


=== 私生活 ===
=== 私生活 ===
『ラン・ローラ・ラン』のティクヴァ監督と交際していたが2002年に別れている。その後、『Try Seventeen』(2002年)で共演した[[イライジャ・ウッド]]と短期間交際している。
「ポテンテ」というイタリア風の名字は、19世紀に[[シチリア]]からドイツに移住した屋根ふき職人の先祖に由来する<ref>http://www.imdb.com/name/nm0004376/bio</ref>。


2008年に、Dioと呼ばれる36歳のビジネスマンと婚約した<ref>[http://www.bild.de/BILD/unterhaltung/leute/2008/08/06/franka-potente/mit-us-amerikaner-verlobt-wuenscht-sich-kinder.html Franka Potente mit Amerikaner verlobt]</ref>。彼はヨーロッパに住むアメリカ人で、二人はアムステルダムで出会った。
『ラン・ローラ・ラン』のティクヴァ監督と交際していたが2002年に別れている。その後、『Try Seventeen』(2002)で共演した[[イライジャ・ウッド]]と短期間交際している。

2012年にパートナーである俳優デレク・リチャードソンとの間に女児が誕生。同年にリチャードソンと結婚。


[[ドイツ語]]の他に、[[英語]]と[[イタリア語]]も話す。
[[ドイツ語]]の他に、[[英語]]と[[イタリア語]]も話す。


== 主な出演作品 ==
== 主な出演作品 ==
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* [[アム・アイ・ビューティフル?]] ''?Bin ich schön?'' (1998)
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* [[ラン・ローラ・ラン]] ''Lola rennt'' (1998)
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== 参照 ==
== 参照 ==
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== 外部リンク ==
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2023年12月6日 (水) 22:19時点における最新版

フランカ・ポテンテ
Franka Potente
フランカ・ポテンテ Franka Potente
2019年
生年月日 (1974-07-22) 1974年7月22日(50歳)
出生地 ミュンスター
国籍 ドイツドイツの旗
身長 174 cm
配偶者 デレク・リチャードソン(2012年-)
主な作品
ラン・ローラ・ラン
ブロウ
ボーン』シリーズ
素粒子
ディア マイ ファーザー
チェ
シャンハイ
死霊館 エンフィールド事件
受賞
ベルリン国際映画祭
シューティングスター賞
1998年
その他の賞
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フランカ・ポテンテFranka Potente1974年7月22日 - )は、ドイツ出身の女優

来歴

[編集]

生い立ち

[編集]

父親は教師[1]。「ポテンテ」というイタリア風の名字は、19世紀にシチリアからドイツに移住した屋根ふき職人の先祖に由来する[2]

ミュンヘンの演劇学校やニューヨークのリー・ストラスバーグ演劇学校で演技を学んだ。

キャリア

[編集]

1998年、トム・ティクヴァ監督の『ラン・ローラ・ラン』のヒットで世界的に知られるようになった。2001年の『ブロウ』からはアメリカ映画にも出演し、『ボーン・アイデンティティー』ではマット・デイモン演じる主人公の恋人役に抜擢された。

2007年にはエリック・バナと共演したオーストラリア映画ディア マイ ファーザー』、2008年にはスティーヴン・ソダーバーグ監督、ベニチオ・デル・トロ主演の『チェ 28歳の革命 / 39歳 別れの手紙』に出演。

執筆業にも興味を示し、2010年には日本を題材とした短編小説集"zehn"を上梓。

私生活

[編集]

『ラン・ローラ・ラン』のティクヴァ監督と交際していたが2002年に別れている。その後、『Try Seventeen』(2002年)で共演したイライジャ・ウッドと短期間交際している。

2008年に、Dioと呼ばれる36歳のビジネスマンと婚約した[3]。彼はヨーロッパに住むアメリカ人で、二人はアムステルダムで出会った。

2012年にパートナーである俳優デレク・リチャードソンとの間に女児が誕生。同年にリチャードソンと結婚。

ドイツ語の他に、英語イタリア語も話す。

主な出演作品

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公開年 邦題
原題
役名 備考
1998 ホロコースト2000-
Opernball
ガブリエレ テレビ映画
ラン・ローラ・ラン
Lola rennt
ローラ
アム・アイ・ビューティフル?
?Bin ich schön?
リンダ
2000 アナトミー
Anatomie
パウラ・ヘニング
プリンセス・アンド・ウォリアー-
The Princess and the Warrior
シシー
2001 ブロウ
Blow
バーバラ・バックリー
ストーリーテリング
Storytelling
編集者
2002 ボーン・アイデンティティー
The Bourne Identity
マリー・クルーツ
17歳 ~体験白書~-
All I Want
ジェーン
2003 アナトミー2
Anatomie 2
パウラ・ヘニング
2004 ボーン・スプレマシー
The Bourne Supremacy
マリー・クルーツ
0:34 レイジ34フン
Creep
ケイト
2006 素粒子
Elementarteilchen
アナベル
2007 ディア マイ ファーザー
Romulus, My Father
クリスティーン
ヒトラーの審判 アイヒマン、最期の告白-
Eichmann
ヴェラ
2008 チェ 28歳の革命 / 39歳 別れの手紙
The Argentine / Guerrilla
タニア
1945戦場への橋 -ナチス武装戦線-
Die Brücke
エルフィ
2009 Dr.HOUSE
House
リディア テレビシリーズ、1エピソードに出演
2010 シャンハイ
Shanghai
レニ
2012 アメリカン・ホラー・ストーリー
American Horror Story
シャーロット・ブラウン テレビシリーズ
2016 死霊館 エンフィールド事件
The Conjuring 2
アニータ・グレゴリー
2023 悪魔城ドラキュラ -キャッスルヴァニア-: 月夜のノクターン
Castlevania: Nocturne
エリザベート・バートリ Netflixアニメ

参照

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  1. ^ Franka Potente Biography (1974-)
  2. ^ https://www.imdb.com/name/nm0004376/bio/
  3. ^ Franka Potente mit Amerikaner verlobt

外部リンク

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