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* {{PDFlink|[https://web.archive.org/web/20081212201919/http://www.csas.ed.ac.uk/fichiers/LLOYD.pdf ''Acting in the "Theatre of Anarchy": 'The Anti-Thug Campaign' and Elaborations of Colonial Rule in Early-Nineteenth Century India]|972 [[キビバイト|KiB]]}} by Tom Lloyd (2006) - [[ウェイバックマシン]](2008年12月12日アーカイブ分)
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* [http://content.cdlib.org/view?docId=ft8s20097j&chunk.id=ch2 ''Parama Roy: Discovering India, Imagining Thuggee. In: idem, Indian Traffic. Identities in Question in Colonial and Postcolonial India. University of California Press 1998. (in html format) ]
* [http://content.cdlib.org/view?docId=ft8s20097j&chunk.id=ch2 ''Parama Roy: Discovering India, Imagining Thuggee. In: idem, Indian Traffic. Identities in Question in Colonial and Postcolonial India. University of California Press 1998. (in html format) ]


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2019年10月19日 (土) 13:27時点における版

タギーのメンバー(1857年に掲載された新聞の押絵)
タギーのメンバー。1863年、撮影

タギーヒンディー語 ठग्गी ṭhagī)は、かつてインドに存在した暗殺集団である。ヒンドゥー教の死の女神カーリーへの供物として殺害を行った。

英語ではサギー(thuggee)あるいは短縮してサグ(thug)。現代英語では thug は犯罪者の一般名詞でもある。

概要

タギーはカーリーへの供物として全ての信者に毎年1人以上の殺人を義務付けた。タギーの教義では、血はカーリーに捧げるものとされ流血を禁じていたため、殺害の際には絞殺に限った。

黄色いスカーフでの絞殺を得意とした。黄色いスカーフを使うのは、ヒンドゥー教の死の女神カーリーの神話による。カーリーがアスララクタヴィージャを倒す際、2人の人間にスカートの切れ端を与え、ラクタビージャの首を絞めさせたという。

裕福な旅人や旅の商人をターゲットとし、仲間が気を逸らせている間に音もなく血も流さず殺し、荷物を奪った。凶器がスカーフということは、持ち物の中に発見されても罪に問えない利点もあった。タギーはこうして蓄えた富で組織の維持を図り、また各地の有力者に財貨を送り、組織の安全を図ったとされている。

歴史

タギーが歴史上の記録に現れる1550年から壊滅する1853年までに少なくとも200万人が殺害されたと推測されている。

イギリス領時代の19世紀半ば、植民地政府の役人で軍人のウィリアム・ヘンリー・スリーマン英語版William Henry Sleeman)が、イギリス統治下でも長くインド人の迷信と存在が信じられなかったタギーの実態を幾度にも渡る暗殺の危機にさらされながら暴き、1835年から自らがその撲滅の責任者となり2年間に渡る掃討作戦でタギーは壊滅した。逮捕されたメンバーの中には、1840年に刑死したベーラムという男が50年間に渡る犯行で931人の殺害に関与したと伝えられており、ギネスブックにも記載されている。

小説

  • 『蛇の王 ナーガ・ラージ』東郷隆、2005年、集英社
  • 『カーリー女神の戦士』山際素男、1989年、三一書房

漫画

映画

関連項目

外部リンク

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