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'''タギー''' ([[ヒンディー語]] {{lang|sa|ठग्गी ṭhagī}}) は、かつて[[インド]]に存在した[[カルト]]的な[[強盗殺人]]集団である。[[英語]]では'''サギー''' (thuggee) あるいは短縮して'''サグ''' (thug)。現代英語では thug は[[犯罪者]]の一般名詞でもある。 |
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'''タギー'''(英:Thuggee)は、インドの歴史における、組織化された強盗や殺人犯の[[ギャング]]集団の行為に付けられた呼び名である。彼らはインド亜大陸を集団で旅していたと言われ<ref name="thugs">"[https://www.latimes.com/archives/la-xpm-2003-aug-03-tr-books3-story.html Tracing India's cult of Thugs]". 3 August 2003. ''Los Angeles Times''.</ref>、犠牲者をハンカチで絞殺し<ref name="David Scott Katsan 2006 141">{{cite book|url=https://books.google.com/books?id=DlMUSz-hiuEC&pg=RA4-PA141|title=The Oxford Encyclopedia of British Literature, Volume 1|publisher=Oxford University Press |page=141|year=2006|author=David Scott Katsan|isbn=9780195169218}}</ref>、それは[[カーリー]]女神への崇拝の一形態だと信じられていた<ref name="Will Sweetman, Aditya Malik">{{cite book |author= Will Sweetman, Aditya Malik |url= https://books.google.com/books?id=XW02DAAAQBAJ&pg=PA49|title= Hinduism in India: Modern and Contemporary Movements|date=23 May 2016|publisher=SAGE Publications India|isbn= 9789351502319}}</ref>。[[ハルジー朝]]<ref name="Martine van Woerkens 2002 110">{{cite book|author=Martine van Woerkens|title=The Strangled Traveler: Colonial Imaginings and the Thugs of India|url=https://books.google.com/books?id=5HPc_EgwUg8C&pg=PA110|year=2002|publisher=University of Chicago Press|isbn=9780226850856|page=110}}</ref>、[[ムガル帝国]]{{sfn|Wagner|2007|p=26}}、[[イギリス領インド帝国]]などの権力者はタギーの犯罪行為に手を焼いたと考えられていた{{sfn|Wagner|2007|p=7}}。しかし、現代の学問ではタギーという概念に対して懐疑的な見方が強まっており、存在自体が疑問視されており<ref name="Cambridge Scholars Publishing">{{cite book|title=Tabish Khair: Critical Perspectives|url=https://books.google.com/books?id=DnExBwAAQBAJ|first1=Cristina M.|last1=Gámez-Fernández|first2= Om P.|last2= Dwivedi|publisher=Cambridge Scholars Publishing|year=2014|isbn=9781443857888}}</ref><ref name="ReferenceA">{{Cite journal | doi=10.1080/13642520802193262|title = Thuggee: An orientalist construction?| journal=Rethinking History| volume=12| issue=3| pages=383–397|year = 2008|last1 = MacFie|first1 = Alexander Lyon|s2cid = 144212481}}</ref>、多くの歴史家は、この概念はイギリス植民地政権の発明であると説明している<ref name="S. Shankar 2001">{{cite book|title=Textual Traffic: Colonialism, Modernity, and the Economy of the Text|url=https://books.google.com/books?id=PuFw9xDqojgC&pg=PA29|author=S. Shankar|publisher=[[SUNY Press]]|year=2001|isbn=978-0791449929}}</ref>。 |
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タギーのメンバーの多くは[[世襲]]であり、情報を秘匿するために仲間との意思疎通には独自の言語を用いていた<ref name="Goldwag">アーサー・ゴールドワグ『カルト・陰謀・秘密結社大事典』 住友進訳 河出書房新社 2010年、ISBN 978-4-309-24528-7 pp.342-344.</ref>。カーリーを崇める一方で宗教には寛容で、イスラム教徒もメンバーに含まれており、イスラム教徒とヒンドゥー教徒の比率はほぼ同等であった<ref name="Goldwag"/>。ターゲットは宗教や貧富に関わりなく選ばれたが、旅の商人の一行に紛れ込み、仲間が気を逸らせている間に音もなく血も流さず殺し、荷物を奪うことを常套とした<ref name="Goldwag"/>。 |
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黄色い[[スカーフ]]での[[絞殺]]を得意とした。裕福な旅人や旅の商人をターゲットとし、仲間が気を逸らせている間に音もなく血も流さず殺し、荷物を奪った。凶器がスカーフということは、持ち物の中に発見されても罪に問えない利点もあった。 |
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凶器がスカーフということは、持ち物の中に発見されても罪に問えない利点もあった。タギーはこうして蓄えた富で組織の維持を図り、また各地の有力者に財貨を送り、組織の安全を図ったとされている。 |
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また、タギーの教義では、血はカーリーに捧げるものとされ、流血を禁じていたから殺害の際には絞殺に限った。 |
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スリーマンの提出した詳細な報告書はイギリス本国の人々にリアルな殺人者たちの告白集として驚きと興奮を与え、タギーの名を借りた人種差別的な伝説が捏造されるようになった<ref name="Goldwag"/>。[[マーク・トウェイン]]もエッセイ『赤道に沿って』([[1897年]])の中で、タギーの魅力に取り憑かれたと告白している。 |
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1840年に刑死した「タギー」のメンバー、ベーラムという男は50年間に渡る犯行 で931人を殺害したと供述しており。これは単独犯罪としては決して破られることはないギネス記録である。 |
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タギーが歴史上の記録に現れる1550年から壊滅する1853年までに少なくとも200万人が殺害されたと推測されている。 |
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== 小説 == |
== 小説 == |
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*『蛇の王 ナーガ・ラージ』 |
*『蛇の王 ナーガ・ラージ』[[東郷隆]]、2005年、集英社 |
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*『カーリー女神の戦士』[[山際素男]]、1989年、三一書房 |
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== 漫画 == |
== 漫画 == |
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*『マギー’S犬(ドッグ)』 |
*『マギー’S犬(ドッグ)』[[小池一夫]]・[[叶精作]] |
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*『デュエット』 |
*『デュエット』[[小池一夫]]・[[井上紀良]] |
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*『[[サムライ・ラガッツィ -戦国少年西方見聞録-]]』 |
*『[[サムライ・ラガッツィ -戦国少年西方見聞録-]]』[[金田達也]] |
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*『アマポーラ』[[流矢カイル]]・[[大古田裕]] |
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== 映画 == |
== 映画 == |
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* 『[[インディ・ジョーンズ/魔宮の伝説]]』 |
* 『[[インディ・ジョーンズ/魔宮の伝説]]』 |
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== 脚注 == |
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==参考文献== |
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* {{cite book|last= Wagner|first=Kim Ati|author-link=:en:Kim A. Wagner|title=Thuggee: Banditry and the British in Early Nineteenth-Century India|url=https://books.google.com/books?id=R1CBDAAAQBAJ&pg=PA26|year=2007|publisher=Springer|isbn=978-0-230-59020-5|ref=harv}} |
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== 外部リンク == |
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* [http://www.csas.ed.ac.uk/fichiers/LLOYD.pdf ''Acting in the "Theatre of Anarchy": 'The Anti-Thug Campaign' and Elaborations of Colonial Rule in Early-Nineteenth Century India by Tom Lloyd (2006) |
* {{PDFlink|[https://web.archive.org/web/20081212201919/http://www.csas.ed.ac.uk/fichiers/LLOYD.pdf ''Acting in the "Theatre of Anarchy": 'The Anti-Thug Campaign' and Elaborations of Colonial Rule in Early-Nineteenth Century India]|972 [[キビバイト|KiB]]}} by Tom Lloyd (2006) - [[ウェイバックマシン]](2008年12月12日アーカイブ分) |
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* [http://content.cdlib.org/view?docId=ft8s20097j&chunk.id=ch2 ''Parama Roy: Discovering India, Imagining Thuggee. In: idem, Indian Traffic. Identities in Question in Colonial and Postcolonial India. University of California Press 1998. (in html format) ] |
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ヒンドゥー教 |
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タギー(英:Thuggee)は、インドの歴史における、組織化された強盗や殺人犯のギャング集団の行為に付けられた呼び名である。彼らはインド亜大陸を集団で旅していたと言われ[1]、犠牲者をハンカチで絞殺し[2]、それはカーリー女神への崇拝の一形態だと信じられていた[3]。ハルジー朝[4]、ムガル帝国[5]、イギリス領インド帝国などの権力者はタギーの犯罪行為に手を焼いたと考えられていた[6]。しかし、現代の学問ではタギーという概念に対して懐疑的な見方が強まっており、存在自体が疑問視されており[7][8]、多くの歴史家は、この概念はイギリス植民地政権の発明であると説明している[9]。
概要
[編集]タギーのメンバーの多くは世襲であり、情報を秘匿するために仲間との意思疎通には独自の言語を用いていた[10]。カーリーを崇める一方で宗教には寛容で、イスラム教徒もメンバーに含まれており、イスラム教徒とヒンドゥー教徒の比率はほぼ同等であった[10]。ターゲットは宗教や貧富に関わりなく選ばれたが、旅の商人の一行に紛れ込み、仲間が気を逸らせている間に音もなく血も流さず殺し、荷物を奪うことを常套とした[10]。
タギーはカーリーへの供物として全ての信者に毎年1人以上の殺人を義務付けた。タギーの教義では、血はカーリーに捧げるものとされ流血を禁じていたため、殺害の際には絞殺に限った。 黄色いスカーフでの絞殺を得意とした。黄色いスカーフを使うのは、ヒンドゥー教の死の女神カーリーの神話による。カーリーがアスラのラクタヴィージャを倒す際、2人の人間にスカーフの切れ端を与え、ラクタビージャの首を絞めさせたという。 凶器がスカーフということは、持ち物の中に発見されても罪に問えない利点もあった。タギーはこうして蓄えた富で組織の維持を図り、また各地の有力者に財貨を送り、組織の安全を図ったとされている。
歴史
[編集]タギーの歴史上の最古の記録は、イスラムの歴史家ズィヤー・ウッディーン・バラニーが1356年に著した『フィールーズシャーの歴史』の中に現れている[10]。1550年に結成され、1853年に壊滅するまで、少なくとも200万人が殺害されたと推測されている。
イギリス領時代の19世紀半ば、植民地政府の役人で軍人のウィリアム・ヘンリー・スリーマン(William Henry Sleeman)が、イギリス統治下でも長くインド人の迷信と存在が信じられなかったタギーの実態を幾度にも渡る暗殺の危機にさらされながら暴き、1835年から自らがその撲滅の責任者となり2年間に渡る掃討作戦でタギーは壊滅した。逮捕されたメンバーの中には、1840年に刑死したベーラムという男が50年間に渡る犯行で931人の殺害に関与したと伝えられており、ギネスブックにも記載されている。
スリーマンの提出した詳細な報告書はイギリス本国の人々にリアルな殺人者たちの告白集として驚きと興奮を与え、タギーの名を借りた人種差別的な伝説が捏造されるようになった[10]。マーク・トウェインもエッセイ『赤道に沿って』(1897年)の中で、タギーの魅力に取り憑かれたと告白している。
小説
[編集]漫画
[編集]映画
[編集]脚注
[編集]- ^ "Tracing India's cult of Thugs". 3 August 2003. Los Angeles Times.
- ^ David Scott Katsan (2006). The Oxford Encyclopedia of British Literature, Volume 1. Oxford University Press. p. 141. ISBN 9780195169218
- ^ Will Sweetman, Aditya Malik (23 May 2016). Hinduism in India: Modern and Contemporary Movements. SAGE Publications India. ISBN 9789351502319
- ^ Martine van Woerkens (2002). The Strangled Traveler: Colonial Imaginings and the Thugs of India. University of Chicago Press. p. 110. ISBN 9780226850856
- ^ Wagner 2007, p. 26.
- ^ Wagner 2007, p. 7.
- ^ Gámez-Fernández, Cristina M.; Dwivedi, Om P. (2014). Tabish Khair: Critical Perspectives. Cambridge Scholars Publishing. ISBN 9781443857888
- ^ MacFie, Alexander Lyon (2008). “Thuggee: An orientalist construction?”. Rethinking History 12 (3): 383–397. doi:10.1080/13642520802193262.
- ^ S. Shankar (2001). Textual Traffic: Colonialism, Modernity, and the Economy of the Text. SUNY Press. ISBN 978-0791449929
- ^ a b c d e アーサー・ゴールドワグ『カルト・陰謀・秘密結社大事典』 住友進訳 河出書房新社 2010年、ISBN 978-4-309-24528-7 pp.342-344.
参考文献
[編集]- Wagner, Kim Ati (2007). Thuggee: Banditry and the British in Early Nineteenth-Century India. Springer. ISBN 978-0-230-59020-5
外部リンク
[編集]ウィキメディア・コモンズには、タギーに関するカテゴリがあります。
- Acting in the "Theatre of Anarchy": 'The Anti-Thug Campaign' and Elaborations of Colonial Rule in Early-Nineteenth Century India (PDF, 972 KiB) by Tom Lloyd (2006) - ウェイバックマシン(2008年12月12日アーカイブ分)
- Parama Roy: Discovering India, Imagining Thuggee. In: idem, Indian Traffic. Identities in Question in Colonial and Postcolonial India. University of California Press 1998. (in html format)