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セルマー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

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セルマー(The Selmer Campany)またはセルマーU.S.A(Selmer U.S.A.)は、フランス楽器メーカーであるヘンリ・セルマー・パリを起源とするアメリカの楽器メーカー。1900年にアンリ・セルマーの弟であるアレクサンドル・セルマーによって設立された。アレクサンドルのフランス帰国後は店員であったジョージ・バンディが会社を任され、後にアメリカ最大級の楽器メーカーへと成長した。2003年にC.G.コーンと合併しコーン・セルマー(Conn-Selmer Company)となった。親会社はスタインウェイ・ミュージカル・インスツルメンツであり、ピアノメーカースタインウェイ・アンド・サンズとはグループ企業である。インディアナ州エルクハート市に工場を持っている。

セルマーの歴史

セルマーはそのルーツをだとると19世紀後半までさかのぼる。アンリ・セルマー(Henri Chéry Selmer)とアレクサンドル・セルマー(Alexandre Selmer)という2人の兄弟は、パリ国立高等音楽・舞踊学校(パリ音楽院)をクラリネット奏者として卒業した。当時、楽器とその付随品は主に手作りであり、プロの演奏家は自らの楽器、付随品の修理や改良をする熟練した技術が必要であった。

フランス共和国防衛隊楽団(ギャルド・レピュブリケーヌ吹奏楽団)やオペラ=コミック座などでクラリネット奏者をしていたアンリは、後にリードマウスピースの製造も始めた。1900年ごろまでには、アンリの作る付属品は好評を得た。そしてフランス・パリに修理店を開き、まもなくクラリネットの製造もはじめた(後のヘンリ・セルマー・パリ)。

一方、アンリの弟アレクサンドルはアメリカに渡り、1895年から1910年までボストン交響楽団シンシナティ交響楽団ニューヨーク・フィルハーモニックなどで主要なクラリネット奏者(ソリスト)として演奏していた。アンリがクラリネットを作り始めて間もなく、アレクサンドルは兄の楽器や付随品(リードやマウスピースなど)をアメリカで売るため、ニューヨークに店を開いた。1904年、アメリカ・ミズーリ州セントルイスで行われたセントルイス万国博覧会においてセルマーのクラリネットは金メダルに輝き、セルマー製品の名声と売り上げを大きく後押しした。1918年にアレクサンドルは、家族のビジネスを助けるためにアメリカを離れパリに戻った。会社の経営権は従業員であったジョージ・バンディ(George Bundy)に託された。バンディは小売と流通ビジネスを拡張し、ヴィンセント・バック(The Vincent Bach Corporation、金管楽器)、マーティン(C.F.Martin & Company、ギター)、ルートヴィヒ・ムッサー(Ludwig-Musser、打楽器)など他社の楽器も取り扱った。

またバンディはすぐにフルートを製造し始めることを決め、セルマー・フルートの設計のために ジョージ・ヘインズ(George W. Haynes 、有名なフルートメーカー、ヘインズ(Wm.S.Haynes Co., Inc.)の一族出身)を雇った。セルマー・フルートの製造拠点はすぐに、有名なフルートメーカーがいくつかあり、熟練労働者がいるマサチューセッツ州ボストンに移した。さらにバンディは、ドイツで名声を得ていた若い職人であるクルト・ゲマインハルト(Kurt Gemeinhardt)をセルマー・フルートの設計を補助させるために雇った。

1920年代までに、バンディはニューヨークが会社の成長を妨げていることに気づき、すでにいくつかの楽器メーカーがあったインディアナ州エルクハートに生産設備を移した。ニューヨークの設備は1951年で終了させた(最後は小売店のみ)。

1927年もしくは1928年(資料によって違いがある)、バンディはセルマー兄弟からアメリカのビジネス権を買い取った。これによって、セルマーU.S.A.はヘンリ・セルマー・パリと技術的には独立したが、お互いの製品の独占的な代理店関係はその後も残った。フランスのセルマー・パリはより高級なプロの演奏家向け高品質商品の生産に集中し、アメリカのセルマーは学生やアマチュアの演奏家向けの低価格な量産品の製造に集中した。1941年以降、アメリカの商品はしばしばバンディ(Bundy)というブランド名で製造された。

1940年代プラスチックに関する工業技術の成長は、楽器という小さな世界まで拡散した。1948年、セルマーはバンディ・レゾナイト・1400(Bundy Resonite 1400)と呼ばれるプラスチック製クラリネットを製造し、商業的に成功した。第二次世界大戦は楽器の製造と輸入を停止させ、その間(1944年から1946年前半)セルマーの工場は戦争準備用の輸出包装にもっぱら使用された。大戦後は従来の楽器製造に加え、アンリ・セルマー・パリの高級楽器を輸入販売以外に、ノックダウン方式によるアメリカでの生産を始め、1980年代まで続けた。

1960年代から1970年代ベビーブームと学校での音楽授業の増加は、バンドオーケストラ向けの楽器ビジネスを大きく成長させた。この成長を利用し、セルマーは他の楽器メーカーの買収を始めた。1961年にヴィンセント・バック(The Vincent Bach Corporation、金管楽器)、グラーゼル・ストリング・インスツルメント・サービス(Glasel String Instrument Service、バイオリン)、ルートヴィヒ・ムッサー(Ludwig-Musser、打楽器)を買収した。1995年、親会社のセルマー・インダストリーズがスタインウェイ・ミュージカル・インスツルメンツ(Steinway Musical Instruments、スタインウェイ・アンド・サンズ(Steinway & Sons) の親会社)と合併した。2003年、セルマーはC.G.コーン(金管楽器)と合併しコーン・セルマー(Conn-Selmer, Inc.)となった。

現在Conn-Selmerが製造を行っているブランドは以下である。

Artley、Armstrong、Bach、Benge、C.G. Conn、Emerson、King、Glaesel、Holton、Leblanc、Ludwig、Martin、Musser、Noblet、Scherl & Roth、Selmer、William Lewis & Son、Vito、Yanagisawa

セルマーの楽器

主にクラリネットサクソフォーンフルートオーボエなどの木管楽器製造、販売を行っており、ヘンリ・セルマー・パリの楽器の販売代理店も行っている。1940年代から1980年代まではアンリ・セルマー・パリの部品を用いてアメリカで現地生産するノックダウン方式によってプロ向けの高級サクソフォーンなどを製造していたが、現在はアマチュア向けのサクソフォーンをアジアで製造し、アメリカで製品のチェックと認可を行い、BUNDY II(バンディ2)、AS-700と言った製品名でSelmer(USA) ブランドとして販売している。

一般に、ノックダウン方式によってアメリカの工場で生産されたサクソフォーンは、日本の専門家や愛好家の間で、アメリカン・セルマー、略称でアメセルと呼ばれている。セルマーは世界的にサクソフォーン・メーカーとしての名声が高いため、同時期に製造販売していたフルートやクラリネットもアメセル・フルート、アメセル・クラリネットと呼ばれることがある。これに対してヘンリ・セルマー・パリの楽器は通称フラセルと呼ばれることがある。いずれも日本独自の呼び方である。

アメセルと呼ばれるサクソフォーンは基本設計や部品は同じであるが、その組み立てや塗装等にヨーロッパとは異なる楽器へのアプローチをしていることから、同じ名を冠しながらフランスでの製品とは一線を画した物となっており、その評価は高く、入手する際の価格でも倍以上の差として表れている。アメリカ国内はもとより日本でも大きな反響を呼ぶ事となった。

外部リンク