Nothing Special   »   [go: up one dir, main page]

コンテンツにスキップ

「セルマー」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
Cewbot (会話 | 投稿記録)
m bot: 解消済み仮リンクエルクハート市を内部リンクに置き換えます
タグ: 手動差し戻し
 
(35人の利用者による、間の45版が非表示)
1行目: 1行目:
{{出典の明記|date=2018年9月}}
'''セルマー''' (The Selmer Campany) または'''セルマーU.S.A''' (Selmer U.S.A) は、[[フランス]]の[[楽器]]メーカーである[[ヘンリー・セルマーパリ|ヘンリ・セルマー・パリ]]を元とする[[アメリカ]]の楽器メーカー。1900年にアンリ・セルマーの弟であるアレクサンドル・セルマーによって設立された。アレクサンドルのフランス帰国後は店員であったジョージ・バンディが会社をまかされ、後にアメリカ最大級の楽器メーカーへと成長した。2003年に[[C.G.コーン]]と合併し'''[[コーン・セルマー]]'''(Conn-Selmer Company) となった。親会社は[[スタインウェイ・ミュージカル・インスツルメンツ]]であり、[[ピアノ]]メーカー[[スタインウェイ|スタインウェイ・アンド・サンズ]]とはグループ企業である。[[インディアナ州]]・[[エルクハート (インディアナ州)|エルクハート市]]に工場を持っている。
'''セルマー・カンパニー''' (The Selmer Company) または'''セルマーUSA''' (Selmer USA) は、かつて[[アメリカ合衆国]]に存在した楽器メーカー。[[フランス]]の楽器メーカーである[[ヘンリー・セルマー・パリ]]とは起源を同じくするが別会社である。[[2003年]]に[[コーン・セルマー]] (Conn-Selmer Company) となり、セルマーはコーン・セルマー内の1ブランドである。親会社は、セルマー・インダストリーズ (Selmer Industries) が母体となった[[スタインウェイ・ミュージカル・インスツルメンツ]]。[[インディアナ州]][[エルクハート (インディアナ州)|エルクハート市]]に工場を持っている。


== セルマーの歴史 ==
== セルマーの歴史 ==
セルマーはそのルーツをだとると[[19世紀]]後半さかのぼる。ヘンリ・セルマー(Henri Chéry Selmer) とアレサンド・セルマー(Alexandre Selmer) という人の兄弟は、[[パリ国立高等音楽・舞踊学校]](パリ音楽院)をクラリネット奏者として卒業した。当時、楽器とその付随品は主に手作りであり、プロの演奏家は自らの楽器、付随品の修理や改良をする熟練した技術が必要であった。
セルマーのルーツは、[[19世紀]]後半に[[パリ国立高等音楽・舞踊学校]](パリ音楽院)[[クラリネット]]を学んだアンリ・シェリー・セルメール(ヘンリ・セルマーHenri Chéry Selmer)とアレサンドル・セルメール(アレクサンダー・セルマーAlexandre Selmer)という2人の兄弟である。当時、楽器とその付随品は主に手作りであり、プロの演奏家は自らの楽器、付随品の修理や改良をする熟練した技術が必要であった。フランス共和国防衛隊楽団([[ギャルド・レピュブリケーヌ管弦楽団|ギャルド・レピュブリケーヌ吹奏楽団]])や[[オペラ=コミック座]]などでクラリネット奏者をしていたアンリは、後に[[リード (楽器)|リード]]や[[マウスピース (楽器)|マウスピース]]の製造も始めた。そして[[パリ]]に修理店を開き、間もなくクラリネットの製造も始めた。このアンリの工房が後の[[ヘンリー・セルマー・パリ]]へと発展した。

フランス共和国防衛隊楽団やオペラ・コミックなどでクラリネット奏者をしていたアンリは、後に[[リード (楽器)|リード]]や[[マウスピース]]の製造も始めた。1900年ごろまでには、アンリの作る付属品は好評を得た。そしてフランス・パリに修理店を開き、まもなくクラリネットの製造もはじめた(後の[[ヘンリー・セルマーパリ|ヘンリ・セルマー・パリ]])。
一方、アンリの弟、アレサンドはアメリカに渡り、[[1895年]]から[[1910年]]までの間、[[ボストン交響楽団]]、[[シンシナティ交響楽団]]、[[ニューヨーク・フィルハーモニック]]などで主要なクラリネット奏者(ソリスト)として演奏していた。アンリがクラリネットを作り始めてもなく、アレサンドは兄の楽器や付随品(リードやマウスピースなど)をアメリカで売るため、[[ニューヨーク]]に店を開いた。[[1904年]]、アメリカ、[[ミズーリ州]][[セントルイス]]で行われた[[万国博覧会]]においてセルマーのクラリネットは金メダルに輝き、セルマー製品の名声と売り上げを大きく後押しした。[[1918年]]にアレサンドは、家族のビジネスを助けるためにアメリカを離れパリに戻った。会社の経営権は従業員であったジョージ・バンディ(George Bundy) に託された。バンディは小売と流通ビジネスを拡張し、ヴィンセント・バック(The Vincent Bach Corporation金管楽器) 、[[マーティン]](C.F.Martin & Companyギター)、ルートヴ・ムッサー(Ludwig-Musser打楽器)など他社の楽器も取り扱った。
一方、アレサンドはアメリカに渡り、[[1895年]]から[[1910年]]まで[[ボストン交響楽団]]、[[シンシナティ交響楽団]]、[[ニューヨーク・フィルハーモニック]]などで主要なクラリネット奏者(ソリスト)として演奏していた。アンリがクラリネットを作り始めてもなく、アレサンドは兄の楽器や付随品(リードやマウスピースなど)をアメリカで売るため、[[ニューヨーク]]に店を開いた。[[1904年]]、[[ミズーリ州]][[セントルイス]]で行われた[[セントルイス万国博覧会]]においてセルマーのクラリネットは金メダルに輝き、セルマー製品の名声と売り上げを大きく後押しした。[[1918年]]にアレサンドは、家族のビジネスを助けるためにアメリカを離れパリに戻った。会社の経営権は従業員であったジョージ・バンディ(George Bundy)に託された。バンディは小売と流通ビジネスを拡張し、[[ヴィンセント・バック・コーポレーション]](The Vincent Bach Corporation, [[金管楽器]])、[[マーティン (楽器メーカー)|マーティン]](C.F.Martin & Company, [[ギター]])、[[ラデック・ムッサー]](Ludwig-Musser, [[打楽器]])など他社の楽器も取り扱った。


またバンディは、すぐに[[フルート]]の製造を始めることを決め、セルマー・フルートの設計のためにジョージ・ヘインズ(George W. Haynes:有名なフルートメーカー、ヘインズ(Wm. S. Haynes Co., Inc.の一族出身)を雇った。セルマー・フルートの製造拠点はすぐに、有名なフルートメーカーいくつかあり、熟練労働者がいる[[マサチューセッツ州]][[ボストン]]に移た。さらにバンディは、[[ドイツ]]で名声を得ていた若い職人であるクルト・ゲマインハルト(Kurt Gemeinhardt)セルマー・フルートの設計を補助させるために雇った。
またバンディはすぐに[[フルート]]を製造し始めることを決め、セルマー・フルートの設計のために
ジョージ・ヘインズ(George W. Haynes 、有名なフルートメーカー、ヘインズ(Wm.S.Haynes Co., Inc.) の一族出身)を雇った。セルマー・フルートの製造拠点はすぐに、有名なフルートメーカーいくつかあり、熟練労働者がいる[[マサチューセッツ州]][[ボストン]]に移た。さらにバンディは、[[ドイツ]]で名声を得ていた若い職人であるクルト・ゲマインハルト(Kurt Gemeinhardt) をセルマー・フルートの設計を補助させるために雇った。


1920年代までに、バンディはニューヨークが会社の成長を妨げていることに気づき、そしてすでにいくつかの楽器メーカーがあったインディアナ州エルクハートに生産設備を移した。ニューヨークの設備は1951年で終了させた(最後は小売店のみ)。
1920年代までに、バンディはニューヨークが会社の成長を妨げていることに気づき、すでにいくつかの楽器メーカーがあったインディアナ州エルクハートに生産設備を移した。ニューヨークの設備は1951年で終了させた(最後は小売店のみ)。


1927年もしくは1928年(資料によって違いがある)、バンディはセルマー兄弟からアメリカのビジネス権を買い取った。これによって、セルマーU.S.Aアンリ・セルマー・パリと技術的には独立したが、互いの製品の独占的な代理店関係はその後も残った。フランスのセルマー・パリはより高級な[[プロ]]の演奏家向け高品質品の生産に集中し、アメリカのセルマーは学生や[[アマチュア]]の演奏家向けの低価格な量産品の製造に集中した。1941年以降、アメリカの品はしばしばバンディ(Bundy)というブランド名で製造された。
1927年もしくは1928年(資料によって違いがある)、バンディはセルマー兄弟からアメリカのビジネス権を買い取った。これによって、セルマーUSAはセルマー・パリから経営上は独立したが、互いの製品の独占的な代理店関係はその後も残った。フランスのセルマー・パリはより高級なプロの演奏家向け高品質品の生産に集中し、アメリカのセルマーは学生やアマチュアの演奏家向けの低価格な量産品の製造に集中した。1941年以降、アメリカの品はしばしばバンディ(Bundy)のブランド名で製造された。


1940年代、[[プラスティック]]に関する工業技術の成長は、楽器という小さな世界まで拡散した。[[1948年]]、セルマーはバンディ・レゾナイト・1400(Bundy Resonite 1400) と呼ばれるプラスティック製クラリネットを製造し、商業的に成功した。[[第二次世界大戦]]は楽器の製造と輸入を停止させ、その間([[1944年]]から[[1946年]]前半)セルマーの工場は戦争準備用の輸出包装にもっぱら使用された。大戦後は従来の楽器製造に加え、アンリ・セルマー・パリの高級楽器輸入販売以外にノックダウン方式によるアメリカでの生産を始め、1980年代まで続けた。
[[1940年代]]、[[プラスック]]に関する工業技術の成長は、楽器の分野にまで広がった。[[1948年]]、セルマーはバンディ・レゾナイト・1400(Bundy Resonite 1400)と呼ばれるプラスック製クラリネットを製造し、商業的に成功した。[[第二次世界大戦]]は楽器の製造と輸入を停止させ、その間([[1944年]]から[[1946年]]前半)セルマーの工場は戦争準備用の輸出包装にもっぱら使用された。大戦後は従来の楽器製造に加え、セルマー・パリの高級楽器輸入販売以外に[[ノックダウン生産]]を始め、1980年代まで続けた。


[[1960年]]から[[1970年]]の[[ベビーブーム]]と学校での音楽授業の増加は、[[バンド]]や[[オーケストラ]]向けの楽器ビジネスを大きく成長させた。この成長を利用し、セルマーは他の楽器メーカーの買収を始めた。[[1961年]]ヴィンセント・バック(The Vincent Bach Corporation金管楽器)、グラーゼル・ストリング・インスルメント・サービス(Glasel String Instrument Service、バイオリン)、ルートヴ・ムッサー(Ludwig-Musser楽器)買収た。[[1995年]]親会社セルマー・インダストリーズが[[スタインウェイ・ミュージカル・インスツルメンツ]](Steinway Musical Instruments、[[スタインウェイ|スタインウェイ・アンド・サンズ]](Steinway & Sons) の親会社)と合併。[[2003年]]、セルマーは[[シー・ジー・コーン|C.G.コーン]](金管楽器)と合併し[[コーン・セルマー]](Conn-Selmer, Inc.) となった。
[[1960年]]から[[1970年]]の[[ベビーブーム]]と学校での音楽授業の増加は、[[バンド_(音楽)|バンド]]や[[オーケストラ]]向けの楽器ビジネスを大きく成長させた。この成長を利用し、セルマーは他の楽器メーカーの買収を始めた。[[1961年]]の[[ヴィンセント・バック・コーポレーション]]買収を手始めに、[[1963年]]にビュッシャー(Buescher Band Instrument, [[サクソフォーン]])[[1966年]]にブリルハート(Brilhart, サクソフォーン・[[マウスピース]])、[[1977年]]にグラーゼル・ストリング・インストゥルメント・サービス(Glasel String Instrument Service, [[弦楽器]])、[[1981年]]に[[ラデック・ムッサー]][[1995年]]にウィリアム・ルイス(William Lewis & Son, 弦楽器)と次々に買収を行った。[[1995年]]にはこれらの親会社となるセルマー・インダストリーズ(Selmer Industries)が、[[スタインウェイ|スタインウェイ・アンド・サンズ]](Steinway & Sons)の親会社を買収し、[[スタインウェイ・ミュージカル・インスツルメンツ]](Steinway Musical Instruments, Inc.)として発足する。[[2003年]]、スタインウェイ・ミュジカル・インスツルメンツは[[シー・ジー・コーン|C.G.コーン]](金管楽器)を含むユナイテッド・ミュージカル・インスツルメンツ(United Musical Instruments, Inc.)を買収、再編[[コーン・セルマー]](Conn-Selmer, Inc.)が発足した。


== セルマーの楽器 ==
== セルマーの楽器 ==
主に[[クラリネット]]、[[サクソフォーン]]、[[フルート]]、[[オーボエ]]などの[[木管楽器]]製造販売を行っており、ヘンリ・セルマー・パリの楽器の販売代理店も行っている。1940年代から1980年代まではアンリ・セルマー・パリの部品を用いてアメリカで現地生産する[[ノックダウン方式]]によってプロ向けの高級サクソフォーンなどを製造していたが、現在はアマチュア向けのサクソフォーンをアジアで製造し、アメリカで製品のチェックと認可を行い、BUNDY II(バンディ2)、AS-700と言った製品名でSelmer(USA) ブランドとして販売している
主に[[クラリネット]]、[[サクソフォーン]]、[[フルート]]、[[オーボエ]]などの[[木管楽器]]及びアクセサリーの製造販売を行っており、セルマー・パリの楽器の販売代理店も行っていた。


一般に、ノックダウン方式によってアメリカの工場で生産されたサクソフォーンは、専門家や愛好家の間でアメリカン・セルマー、略称で[[アメセル]]と呼ばれている。セルマーは世界的にサクソフォーンメーカーとしての名声が高いため、同時期に製造販売していたフルートやクラリネットもアメセル・フルート、アメセル・クラリネットと呼ばれることがある。これに対してヘンリ・セルマー・パリの楽器は通称フラセルと呼ばれることがある。
1940年代から1980年代まではセルマー・パリの部品を用いてアメリカで現地生産する[[ノックダウン生産|ノックダウン方式]]によってプロ向けの高級サクソフォーンなどを製造していた。一般に、ノックダウン方式によってアメリカの工場で生産されたサクソフォーンは、日本の専門家や愛好家の間で「'''アメリカン・セルマー'''」、略称で「'''アメセル'''」と呼ばれている。セルマーは世界的にサクソフォーンメーカーとしての名声が高いため、同時期に製造販売していたフルートやクラリネットもアメセル・フルートアメセル・クラリネットと呼ばれることがある。これに対してセルマー・パリの楽器は通称フラセルと呼ばれることがある。当然ながら、いずれも日本独自の呼び方である。


アメセルと呼ばれるサクソフォーンは基本設計や部品は同じであるが、その組み立てや塗装等にヨーロッパとは異なる楽器へのアプローチをしていることから、同じ名を冠しながらフランスの製品とは一線を画した物となっており、その評価は入手する際の価格でも倍以上の差として表れている。アメリカ国内はもとより日本でもおおきな反響を呼ぶ事となった。
アメセルと呼ばれるサクソフォーンは基本設計や部品は同じであるが、その組み立てや塗装等にヨーロッパとは異なるアプローチがあることから、同じ名を冠しながらフランスの製品とは一線を画しており、その評価は高く、入手する際の価格でも倍近い差として表れている。アメリカ国内はもとより日本でもきな反響を呼ぶ事となった。


以前はコーン・セルマー内、Selmer (USA) ブランドでもプロモデルが生産されていたが現在はアマチュア向けのサクソフォーンをアジアで製造し、アメリカで製品のチェックと認可を行い、BUNDY II(バンディ2)、AS-700といった製品名で販売している。
== 外部リンク ==
*[http://www.selmer.com/ セルマー公式ページ(英語)]
*[http://www.selmer.fr/html/english/sommaire/someng.htm ンリ・セルマー・パリ公式ページ(英語)]、[http://www.selmer.fr/ (フラス語)]
*[http://www.nonaka.com/actus/selmer/ セルマー・ジャン(アンリ・セルマー・パリ公式代理店)]
*[http://www.steinwaymusical.com/ スタインウェイ・ミュージカル・インスツルメンツ公式ページ(英語)]


== 関連項目 ==
[[category:楽器メーカー|せるま]]
*[[コーン・セルマー]]
*[[ヘンリー・セルマー・パリ]]
*[[スタインウェイ・アンド・サンズ]]
*[[スタインウェイ・ミュージカル・インスツルメンツ]]

== 外部リンク ==
*[http://www.selmer.com/ セルマー公式サイト]{{en icon}}
*[http://www.conn-selmer.com/ コーン・セルマー公式サイト]{{en icon}}
*[http://www.steinwaymusical.com/ スタインウェイ・ミュージカル・インスツルメンツ公式サイト]{{en icon}}
*[http://www.selmer.fr/html/english/sommaire/someng.htm ンリ・セルマー・パリ公式ページ]{{en icon}}、[http://www.selmer.fr/ リー・セルマー・パリ公式ページ]{{fr icon}}
*[http://www.nonaka.com/ 野中貿易(ヘンリー・セルマー・パリ及びコーン・セルマー公式代理店)]


{{DEFAULTSORT:せるまあ}}
[[en:The Selmer Company]]
[[Category:アメリカ合衆国の楽器メーカー]]
[[fr:Selmer]]
[[Category:かつて存在したアメリカ合衆国の企業]]

2021年10月1日 (金) 20:25時点における最新版

セルマー・カンパニー (The Selmer Company) またはセルマーUSA (Selmer USA) は、かつてアメリカ合衆国に存在した楽器メーカー。フランスの楽器メーカーであるヘンリー・セルマー・パリとは起源を同じくするが別会社である。2003年コーン・セルマー (Conn-Selmer Company) となり、セルマーはコーン・セルマー内の1ブランドである。親会社は、セルマー・インダストリーズ (Selmer Industries) が母体となったスタインウェイ・ミュージカル・インスツルメンツインディアナ州エルクハート市に工場を持っている。

セルマーの歴史

[編集]

セルマーのルーツは、19世紀後半にパリ国立高等音楽・舞踊学校(パリ音楽院)でクラリネットを学んだアンリ・シェリー・セルメール(ヘンリー・セルマー、Henri Chéry Selmer)とアレクサンドル・セルメール(アレクサンダー・セルマー、Alexandre Selmer)という2人の兄弟である。当時、楽器とその付随品は主に手作りであり、プロの演奏家は自らの楽器、付随品の修理や改良をする熟練した技術が必要であった。フランス共和国防衛隊楽団(ギャルド・レピュブリケーヌ吹奏楽団)やオペラ=コミック座などでクラリネット奏者をしていたアンリは、後にリードマウスピースの製造も始めた。そしてパリに修理店を開き、間もなくクラリネットの製造も始めた。このアンリの工房が後のヘンリー・セルマー・パリへと発展した。

一方、アレクサンドルはアメリカに渡り、1895年から1910年までボストン交響楽団シンシナティ交響楽団ニューヨーク・フィルハーモニックなどで主要なクラリネット奏者(ソリスト)として演奏していた。アンリがクラリネットを作り始めて間もなく、アレクサンドルは兄の楽器や付随品(リードやマウスピースなど)をアメリカで売るため、ニューヨークに店を開いた。1904年ミズーリ州セントルイスで行われたセントルイス万国博覧会において、セルマーのクラリネットは金メダルに輝き、セルマー製品の名声と売り上げを大きく後押しした。1918年にアレクサンドルは、家族のビジネスを助けるためにアメリカを離れてパリに戻った。会社の経営権は従業員であったジョージ・バンディ(George Bundy)に託された。バンディは小売と流通ビジネスを拡張し、ヴィンセント・バック・コーポレーション(The Vincent Bach Corporation, 金管楽器)、マーティン(C.F.Martin & Company, ギター)、ラディック・ムッサー(Ludwig-Musser, 打楽器)など他社の楽器も取り扱った。

またバンディは、すぐにフルートの製造を始めることを決め、セルマー・フルートの設計のためにジョージ・ヘインズ(George W. Haynes:有名なフルート・メーカー、ヘインズ(Wm. S. Haynes Co., Inc.)の一族出身)を雇った。セルマー・フルートの製造拠点はすぐに、有名なフルート・メーカーがいくつかあり、熟練労働者がいるマサチューセッツ州ボストンに移った。さらにバンディは、ドイツで名声を得ていた若い職人であるクルト・ゲマインハルト(Kurt Gemeinhardt)を、セルマー・フルートの設計を補助させるために雇った。

1920年代までに、バンディはニューヨークが会社の成長を妨げていることに気づき、すでにいくつかの楽器メーカーがあったインディアナ州エルクハートに生産設備を移した。ニューヨークの設備は1951年で終了させた(最後は小売店のみ)。

1927年もしくは1928年(資料によって違いがある)、バンディはセルマー兄弟からアメリカのビジネス権を買い取った。これによって、セルマーUSAはセルマー・パリから経営上は独立したが、互いの製品の独占的な代理店関係はその後も残った。フランスのセルマー・パリはより高級なプロの演奏家向け高品質製品の生産に集中し、アメリカのセルマーは学生やアマチュアの演奏家向けの低価格な量産品の製造に集中した。1941年以降、アメリカの製品はしばしばバンディ(Bundy)のブランド名で製造された。

1940年代プラスチックに関する工業技術の成長は、楽器の分野にまで広がった。1948年、セルマーはバンディ・レゾナイト・1400(Bundy Resonite 1400)と呼ばれるプラスチック製クラリネットを製造し、商業的に成功した。第二次世界大戦は楽器の製造と輸入を停止させ、その間(1944年から1946年前半)セルマーの工場は戦争準備用の輸出包装にもっぱら使用された。大戦後は従来の楽器製造に加え、セルマー・パリの高級楽器の輸入販売以外にノックダウン生産を始め、1980年代まで続けた。

1960年代から1970年代ベビーブームと学校での音楽授業の増加は、バンドオーケストラ向けの楽器ビジネスを大きく成長させた。この成長を利用し、セルマーは他の楽器メーカーの買収を始めた。1961年ヴィンセント・バック・コーポレーション買収を手始めに、1963年にビュッシャー(Buescher Band Instrument, サクソフォーン)、1966年にブリルハート(Brilhart, サクソフォーン・マウスピース)、1977年にグラーゼル・ストリング・インストゥルメント・サービス(Glasel String Instrument Service, 弦楽器)、1981年ラディック・ムッサー1995年にウィリアム・ルイス(William Lewis & Son, 弦楽器)と次々に買収を行った。1995年にはこれらの親会社となるセルマー・インダストリーズ(Selmer Industries)が、スタインウェイ・アンド・サンズ(Steinway & Sons)の親会社を買収し、スタインウェイ・ミュージカル・インスツルメンツ(Steinway Musical Instruments, Inc.)として発足する。2003年、スタインウェイ・ミュージカル・インスツルメンツはC.G.コーン(金管楽器)を含むユナイテッド・ミュージカル・インスツルメンツ(United Musical Instruments, Inc.)を買収、再編してコーン・セルマー(Conn-Selmer, Inc.)が発足した。

セルマーの楽器

[編集]

主にクラリネットサクソフォーンフルートオーボエなどの木管楽器及びアクセサリーの製造・販売を行っており、セルマー・パリの楽器の販売代理店も行っていた。

1940年代から1980年代まではセルマー・パリの部品を用いてアメリカで現地生産するノックダウン方式によってプロ向けの高級サクソフォーンなどを製造していた。一般に、ノックダウン方式によってアメリカの工場で生産されたサクソフォーンは、日本の専門家や愛好家の間で「アメリカン・セルマー」、略称で「アメセル」と呼ばれている。セルマーは世界的にサクソフォーン・メーカーとしての名声が高いため、同時期に製造販売していたフルートやクラリネットも「アメセル・フルート」、「アメセル・クラリネット」と呼ばれることがある。これに対してセルマー・パリの楽器は通称「フラセル」と呼ばれることがある。当然ながら、いずれも日本独自の呼び方である。

「アメセル」と呼ばれるサクソフォーンは、基本設計や部品は同じであるが、その組み立てや塗装等にヨーロッパとは異なるアプローチがあることから、同じ名を冠しながらフランスの製品とは一線を画しており、その評価は高く、入手する際の価格でも倍近い差として表れている。アメリカ国内はもとより、日本でも大きな反響を呼ぶ事となった。

以前はコーン・セルマー内、Selmer (USA) ブランドでもプロモデルが生産されていたが現在はアマチュア向けのサクソフォーンをアジアで製造し、アメリカで製品のチェックと認可を行い、BUNDY II(バンディ2)、AS-700といった製品名で販売している。

関連項目

[編集]

外部リンク

[編集]