「もしかしたら、また(日中戦争のときと同じように)日本軍が中国を攻めてくるんじゃないか。日本人は、本当は中国と戦争したいと思っているんじゃないか。実は、そう思っている中国人は非常に多いんですよ」

 81年前に柳条湖事件が起きた9月18日の前夜、都内の大学院で学ぶ中国人留学生の張成(仮名、24歳)は、切れ長の目をまっすぐ私に向けながら、きわどいことを語り始めた。

 この日、北京、上海、広州など全国約100都市で大規模な反日デモが繰り広げられたが、中国人にとって(日本人にとっても)、日常生活には何の影響もないと思われる尖閣諸島が、なぜ、これほどまでにナショナリズムに火をつけるのか、不思議に思う人は少なくないのではないだろうか。

中国人エリートは日本人をこう見る』(日経プレミアシリーズ)

 私は領土問題を巡る「中国VS日本」という国家間の構図だけではどうしても説明しきれない、中国人をこれほどまでにデモや暴動へと突き動かす心理について、これまで私が自著『中国人エリートは日本人をこう見る』の取材を通してつき合ってきた20代のエリート中国人たちに取材し、率直な意見を聞いてみたいと思った。

 それは、平和でのんびりとした日本に暮らす日本人の多くが抱いている、「なぜ一部の中国人はあんなにも烈火のごとく怒っているのか?」という、まるで他人事のような素朴な疑問への答えの糸口となるものであろうし、日本人と中国人の温度差を少しでも埋め、相互理解につながるきっかけになるものだと思うからだ。

エリート層は冷静

 普段から、ミクシィやフェイスブックを利用して情報収集している張成は、数日前、あることに気がついた。

「デモが暴徒化するにつれ、数日前からネット上では、中国でも日本でも、そうした行動をいさめる動きが自然発生的に湧き上がりましたね。理性的に行動しようとか、暴力反対とか、同じ中国人として情けないだとか。でも、そうした意見をきちんと整理して書き込める人間というのは、ごく限られた人々で、いわゆる中間層以上。知識人がほとんどだったことに、今さらながら気がついたのです」

「今回デモに加わっている人々は、そのネットワークに参加していない階層の人々が中心でした。つまり、いくらSNSにそうした常識的な書き込みをして拡散し、理性の輪を広げよう、よりよい方向に向けようと努力しても、その声を真に届けたい人々は、そうした書き込みや、それに対する大人の反応を目にすることもないのだ、ということがわかり、私は愕然としたのです」

 実際、そうした知識階層の輪に入りこめない若者たちは、ネット上の掲示板などにうっぷんをまき散らす。張成が「中国の2ちゃんねる」ともいわれるサイト「天涯」をのぞいてみたところ、日本への憎悪や憎しみが、これでもかというほど書き連ねられていたという。

 だが、彼らはそこまでの罵詈雑言を書いておきながら、真に日本人が憎いのかといえば、「そうではないだろう」と張はいう。

 というのも、彼らの多くは日本人と会話したこともなければ、日本人と一緒に仕事をしたこともない、もっといえば、生身の日本人を(繁華街で見かけたことくらいはあっても)真近で接したこともない人々だからだ(事実、日本に留学にやってきた中国人の多くが驚きの表情で口にするのは、日本人の優しさや穏やかさである)。

 ただ、日頃の生活の不満が限界点にまで達しており、日中戦争の歴史もあることから、「愛国無罪」といえばたいていのことは許されることを知ってこうした破壊行動に出ているのだろう、と張成は分析する。その中には、日本のデモにも見られるような「友だちが参加するから、自分もなんとなく参加した」という人も大勢いることは想像に難くない。

 私もこの取材で、なんとかデモ参加者を見つけて、デモに参加する動機を聞いてみたいと思ったのだが、中国人の知り合いがかなり多いと思われる私(つまり外国人)でも、接点のある中国人とその友人たちは、ひとりもデモに参加していなかった。この事実だけとっても、同じ中国人とはいえ、出身地や学歴、経歴によって形成されるネットワークや人脈はほぼ同じサークルの中で決められており、彼らの間には、決して交わることのない大きな隔たりがあることがわかる。

逆転できない社会構造が鬱憤をためる

 人口13億4000万人の中国で、若者の中心となる80年代と90年代生まれは3億8000万人~3億9000万人といわれる。中国はすべての国民が農業戸籍と非農業戸籍に分けられているが、不満を持ちやすい人の多くは農業戸籍を持つ人々だ。

 中国の大学入試制度では、大都市の戸籍を持つ学生が優遇され、農業戸籍の学生の合格点は都市の学生よりも高く設定されているという矛盾がある。就職にしても同様で、たとえば北京の企業は北京出身者を求める傾向が強く、日本の何倍もコネが重んじられる。地方出身者で、かつコネがなければ、より激しい競争に巻き込まれ、厳しい人生を覚悟しなければならない。中国人の人生に「一発逆転」はほとんどないのだ。

 こうした「自分自身の努力だけではどうしようもできない」構造的不平等が若者の強い不公平感と無力感につながっており、その気持ちをどこにも発散させることができないまま、日々を鬱々と過ごしている。

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