鉄道の魅力を熱くお伝えする野川キャスターの「てつたま」。2025年最初の「てつたま」は野川キャスターの持ち込み企画でお届け。テーマは幻の“国鉄・宇品線”だ。
現在は車道!もはや鉄道があったとは思わない…
広島市南区にある“テレビ新広島(TSS)”の本社。

この建物からわずか200mほどの場所に、かつては鉄道路線が走っていた。その場所に行ってみると…

TSSの目の前には国道2号線が走っているが、宇品線はそれを横切る形で存在していた。野川キャスターは「宇品線が走っていた、という事実を知らなければ、まずここに鉄道が通っていたとは夢にも思わないでしょうね」と、現在と過去の景色の違いに触れた。

国鉄・宇品線は、広島駅と宇品駅を結ぶ全長5.9キロの短い路線で、1894年に開通。そして、運行開始から92年が経った1986年に廃線となった。この「幻の路線」が存在していた時の資料が、TSSのアーカイブ倉庫に残っている。まずは当時の写真とともに“宇品線”を見ていこう。
当時の写真で見る!“国鉄・宇品線”
野川キャスターがTSSのアーカイブ倉庫で、あるものを発見!

ここに宇品線を撮影したデータが保存されている。それではさっそく見てみよう。

野川キャスター:
消えゆく国鉄宇品線、この字体もいいですね。
かなり時代を感じるテロップである。資料は宇品線の廃線間際、1986年9月のもの。

広島駅近くを流れる猿猴川を渡り、住宅街の中を列車が走る。
宇品線は1972年に旅客輸送を終了し、その後貨物列車だけの運行になった。

朝5時に貨物列車が1往復した後は列車が走ることはなく、線路は歩道のように使われていたそうだ。
そして、TSSの近く、国道2号線を横切るわけだが…。

実は踏切に遮断機はなかった。2号線を越える時には、列車が一時停止して手動で道路の信号を「赤」にして通行していたという。なんとも珍しい状況だったのだ。
そして、貨物列車の運行も1986年9月末で、終えることになり…。

運行開始から92年で宇品線は幕を下ろした。ラストランを迎えた列車の前方には“惜別 宇品線”と書かれたフラッグが掲げられている。

宇品線のラストランを見届けようと、線路脇には多くの人が集まった。
かつて線路があった場所の現在
廃線から30年以上経った2025年の現在、沿線には当時の遺構やモニュメントが残っている。

広島市南区の南警察署近くには、鉄道レールと踏切の遮断機のモニュメントが。野川キャスターが広島市南区の海岸通りを宇品の方向にまっすぐ歩いていたその時、ある看板を発見した。

野川キャスター:
これ丹那駅がこの辺りになったってことですかね。宇品線は単線非電化でしたから、この通りシンプルな駅舎もあったということで。ここに沿革が書いてありますので、ちょっと見てみましょうか。

国鉄・宇品線は、1894年の8月に軍の専用線として開通。当時は日清戦争の戦時下だったため、兵を広島駅から宇品に輸送するために使われていた。実はこの路線、宇品線を広島駅から宇品まで突貫工事で作ったという話だ。「2週間余り」で作ったといわれ、今では信じられないようなハイスピードで作られた路線である。
その後1966年に一般旅客と貨物営業を廃止した。定期券を持っている人だけが乗ることができる特殊な路線となった。“走ってはいるが、時刻表に載ってない”そんな不思議な期間があったという。
その後は貨物線として継続したが、14年後の1986年、昭和61年の10月に宇品線は廃止となった。

広島駅から宇品駅まで、総距離で全長6キロ足らず。その上、こまめに駅もあった。宇品線が現存していたら…。通勤に使う人もいたかもしれない。
野川キャスターは「いやぁ、タラレバは禁物だって言われても、今走っていたらどうなっていたのかなっていうのは考えちゃいますよね」と妄想を膨らませた。
(テレビ新広島)