プログラマーに比べ、バイオ研究者に飛び抜けた才能が現れない理由のひとつ
最近情報系クラスタの人々と接触する機会が多かったのだが、彼らの多くは
- 楽しんでいろいろ試行錯誤して、意識しないままスキルが向上した
のだろうな、という印象を持っている。きっかけはいろいろだろうが、通常人よりも時間を投入してきた人たちだと思う。
日本のインフラの力か、もしくはITという領域の特異性か、最新の技術で遊び、遊びから得た知識を応用して次の新しいものに手を付ける。たまに自分で新しいものを作ってみたりする。
それぞれが得意分野を持ってて、互いに一目置いている。その場のノリで僕から見たら神業としか思えないことをやってのける。
うらやましいことこの上ない。
彼らのやってることを僕の専攻でパラフレーズすると
「ところでこのシャーレをどう思う?」
「コロニーが生えてるな」
「こいつを手で暖めると…」
「ちょ…赤くなったwww なんぞこれwww」
「イソギンチャクのRFP (Red Fluorescent Protein) ってあるだろ」
「あるな」
「RFPコード遺伝子を温度依存の転写制御因子の下流に組み込んでみた。おもしろいだろ」
「役に立つんかこれww」
「全然www」
こんなかんじだ。突っ込みどころありすぎるけど。
ああ、いいなぁ。何も役に立たないけどヒョウ柄のマウスを作って1人でウケたい。無駄な反応起こす酵素を徹夜で作りたい。GFPをぺかぺかさせてホームホタル!
でも現状は、プライベートなバイオロジーという考え方自体が不可能なわけで。
つまり、生物学・遺伝子工学は
- 楽しみながらあれこれ試す風習がない
- その基盤が未だない
- ITみたいに、「思い立ったときに何処でも誰でも試行錯誤」ができない。
- 試行錯誤の1サイクルが長い
- 遺伝子組み替えて一晩、培養して一晩…
- 1年研究してても、方向転換は1,2回まで
- 扱う対象が生命であるため、おもしろがってハックすると倫理的にいろいろ言われる
- 操作とその効果がすぐ目に見えない。
- 視覚化それ自体が研究テーマになるくらい
以上の理由から、「小学生に入る前から遺伝子をいじっていた」(上野氏)という飛び抜けた天才、言い換えると「他人よりも多くバイオロジーに時間を投資してきた人材」が現れないのも無理はない。
いや、正確には、幼い頃からバイオに触れる方法がひとつある。つまり、自然の中で遊ぶことだ。幼い頃から自然の神秘を体験している人は、生物学に限らず、優秀な科学者になる傾向が強いように思える。利根川さん、朝永さん、リチャード・ファインマン、コンラート・ローレンツ*1など。
生物と無生物のあいだ (講談社現代新書)の中にも、小学生の頃の福岡さんが豊かな自然の中で遊んでいたエピソードが紹介されている。
しかし、だ。昆虫を観察したり草笛を吹いたり川で泳いだりザリガニを釣ることはできても、1953年以降の生物学、すなわち分子生物学に幼い頃から触れることは、親が生命系の教授でもないと難しい。
ラマ・チャンドランは19才の時に書いた論文がほぼ無訂正でNatureに載ったという恐るべき天才だが、彼は幼い頃から祖父*2の研究室に出入りし、サイエンティスト一家の中で刺激を受けながら育った。それほどのバックグラウンドがないと才能は生まれてこないのかもしれない。
親と言えば
全く科学者とは関係ないが僕の父親は小鳥マニアで、僕が物心ついたときから30羽以上の小鳥を飼育していた。飼育記録のみならず系統樹まで作成して、「きれいな羽根のヒナを作るにはどのペアに子供を産ませればいいか」などと試行錯誤して楽しんでいる(現在形)。
僕が生物の道に進んだのは、あまり意識したことはなかったが、父の影響もあったのかもしれない。
閑話休題
やはり問題は、というか僕が不満な点は、実力・興味が存分に発揮されるインフラが確立していないことだ。ある程度の量の勉強を行い、しかるべき進路を選択し、教授に与えられたテーマの範囲内でようやく好奇心を具体的な形に表現できるのだ。
Hello World まで数時間のIT vs 5,6年のバイオ*3。バイオの本当に面白いところに触れられるのは小数で、専門教育を受けておらず、かつ生物学に関心のない人々は中学・高校のエンドウマメとかカエルの解剖で知識が止まっていたり、知識を持たずイメージだけで「遺伝子組み換え作物ってこわいわねぇ〜」と思ってたり…。偏見ですが。いや、実際義務教育は生物軽視しすぎ><。
そこで止まるなよ!そこからが面白いんだよ!!
,' / i .l . | 、 、.\ ヽ 、 \ . ヽ ._ 丶. ‐ _ ` ‐ _ (´・ω,(´・ω・) (ー(,, O┬O ())'J_)) 「俺たち終わっちゃったのかなぁ」 「まだはじまっちゃいねぇよ」
いろいろよくわからないことを書いたが、
現実を見るとバイオがITレベルになるにはイノベーションが必要。段階が違いすぎる。
Synthetic Biology (合成生物学) やSystem Biologyの発展を見ると、そろそろ生物学もエンジニアリングの分野に入りつつある、と感じる。バイオテクノロジーが将来世界に与えるであろうインパクトを考えると、このままではまずいと思う。正確に言えば、このままのペース/方向性でいいのかどうかぶっちゃけ不安がある。
僕がこうなったらいいと思う将来は、
誰もが平等に、好奇心の赴くままに、生命をハックできること。
研究室に入って1年経ち、まだ馬鹿馬鹿しい理想論を書けることに少し安心している俺ガイル。
まだだ、まだ終わらんよ
少なくとも日本オワタ\(^o^)/ぽい
ソースは黒影氏。
幻影随想: バイオテクノロジー戦略大綱の破綻
バイオテクノロジー戦略大綱はすでに手段が目的と化してしまっている。行動計画とは、普通、何か目的があってそれを達成するために作られるものだ。当然その評価は、目的が達成されたか否かで量られるべきものである。しかしながら、上記資料では、単にその行動が実施されたかどうかのみが判定基準とされ、その行動が何を目的としているのか、その目的は達成されたかについては何の記述もなされていない。手段が目的と化してしまっているからこそ、本来の目的がまるで達成できていないにも関わらず、計画は順調に遂行中などという報告が出てくるのだ。
さらに言えば、目標設定と評価基準の明文化もできていないこんなザルな行動計画を、BT戦略大綱として制定させてしまった時点で、こうなることは決まったも同然であったわけで、それを今まで見抜けなかった私自身もまだまだ修行が足りないわけだが。
バイオテクノロジーによって実現される社会は
- よりよく「生きる」
- よりよく「食べる」
- よりよく「暮らす」
だってさ!帰れ!
…はぁ、なんかぐったりしてくる。無能な官僚はXXばいいのに。